名作に見る明治・大正の教育あれこれ

小説に描かれた明治・大正の教育をあれこれ気ままに論じていきます。

徳富健次郎  『思出の記』④

○教育方法
 

 近世以来の漢学塾(幕末の蘭学塾なども)では、主に素読」「輪講」「講釈」という三つのスタイルで塾生たちは勉強しました。
 「素読」は「論語素読」などと言われるように、漢文の意味の理解は二の次にして、とにかく声に出して読むことでした。近年、教育学者の齋藤孝さんなどが改めてその教育的効果を主張されています。

   

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 西山塾では、大先生(中西西山)、中先生(松島先生)に続いて「小先生」と呼ばれている上田という「塾頭」が初学者に素読を教えるという記述があります。

 

 「塾生は続々寄って来て、ぐるりと輪を作ってー」という部分がありますが、これは輪講(書物などを数人が輪番で、順々に講義・講釈をすること。『日本国語大辞典』)という学習形態を想像させます。
 この学習方法は近世の私塾(漢学、蘭学など)によく見られましたが、現在もなお大学のゼミでも普通に行われています。

 「講釈」とは講義のことです。西山塾では大先生(中西西山)自らが、「左国史四書五経八大家などの講義」を行っていたとあります。
  (「左国史漢」とは『春秋左氏伝』『国語』『史記』『漢書』の略称。古くから漢学では必読の書でした。)
   以上、西山塾は学習環境こそ劣悪で無秩序のように描かれていますが、その教育方法はごくオーソドックスなものと言えるのではないでしょうか。

 一つ、初めて知った語がありました。
  「塾頭が初学生に素読を教うるこっちでは、中学生が三四人で外史の奪読(とりよみ)をしている。」という文中の「奪読(とりよみ)」というのがそれです。
 辞書には「音読で、先に読む者が読み誤ったとき、他の者がすぐにその続きを引き取って読み、次々と読み続ける方法」とあります。それ以上の詳細は不明ですが、競争的雰囲気の中で緊張感をもって音読を課す方法だったようです。

 この西山塾の描写で注目すべきは、「知育といっては漢字を知るのほかほとんど幾何(いくばく)もなかったが、その代わり辛抱力を養う意育と、筋骨を鍛う体育は、まず遺憾なく施された」の箇所です。
 中でも「体育」に関しては「藷(いも)掘り、水くみ、魚とり、遠足、夏の遊泳、(中略)兎狩り」などを通して筋骨が鍛えられたとあります。
 自然に恵まれた環境で、師弟同行、全人格的な教育が行われていた様子がうかがえます。

 

 作中には、近代的な学校制度に対する次のような批判も見られます。

  

 休 言 他 郷 多 苦 辛  

 いうことをやめよたきょうしんくおおしと

 同 胞 有 友 自 相 親

 どうぼうともありあのずからあいしたしむ

 柴 扉 暁 出 霜 如 雪 

 さいひあかつきにいづればしもゆきのごとし

 君 汲 前 流 我 拾 薪  

 きみはぜんりゅうをくみわれはたきぎをひろう

 これは広瀬淡窓が家塾の情趣を詠じたるのものであるが、実にこの家塾なるものは今はほとんど過去の物になってしまった。世が進んでくると、金紋付きの車で通う講師の、煉瓦造りの校堂の、兵式体操の、制服制帽の、なんのかのと、すべての事が立派に組織的にまたー悪くいえばー器械的になって来るだけ、主脳たる一人の人格を基にして立つ家塾などというものはおのずからなくなって、たとえば師弟の情義とか朋友の切磋とか名節とか元気とかいうようなものが、とかく乏しくなりやすいのは、嘆息の次第である。(四)

  

 # 広瀬淡窓(ひろせたんそう)と咸宜園(かんぎえん)
  

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 (広瀬淡窓、儒学者・教育者、豊後国日田生まれ、天明2~安政3年:1782~1856年、http://blog.livedoor.jp/ijinroku/archives/50354620.html

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