名作に見る明治・大正の教育あれこれ

小説に描かれた明治・大正の教育をあれこれ気ままに論じていきます。漱石『坊っちゃん』は「『坊っちゃん』に見る明治の中学校あれこれ」(https://sf63fs.hatenablog.com/)へ。

井上靖『あすなろ物語』② 「学芸会と鉄拳制裁」その2

 

 (鮎太は学芸会で一時間にわたって、英語の暗誦をおこなった。)

 学芸会が終わって講堂を出ると、無数の讃嘆と好奇の眼が自分に注がれているのを、鮎太は感じた。
 教室へ戻って、鞄を肩にして、それからそこを出て、家へ帰るために運動場をつっ切ろうとした時、鮎太は、背後から五年生の一人に呼び止められた。
「ちょっと、こっちに来い」
 言葉使いが荒かったので、微かな不安が感じられたが、鮎太は五年生の後について行った。連れて行かれたところは武道場の裏手であった。数人の五年生が煙草を喫(の)みながら立っていた。
「おめえの頭は少しどうかしている。普通の頭にしてやろう」
 一人がそんなことをあ言ったと思うと、同時に鮎太は目の前が真っ暗にあんるのを感じた。右によろめけば、右から殴りつけられ、左へよろめけば左から殴られた。
「かんにんかんにん」
「何言っていやあがる!まだ口がきけるじゃあないか」
 鮎太は頭を抱えたまま、地面につくばっていた。五分間程鉄拳(てっけん)のあめが降り注いだ。
「これから、一週間に一回ずつ、頭の洗濯をしてやる。毎同曜日の二時にここへ来い」
 鮎太はそんな言葉を遥か遠くに聞いた。やっとのことで立ち上がった時は誰もいなかった。目も鼻もいっしょになった程、顔は腫れあがっていた
 (寒月がかかれば)

 ■ 鉄拳制裁

 「鉄拳制裁」日本国語大辞典』には、「げんこつで殴って懲らしめること」とあります。
 校規違反をおかしたり、学校の体面を傷つけるような破廉恥な事件を引き起こしたりした下級生(同級生の場合も)に対して、上級生が行う「私的制裁」(リンチ)のことです。隠語では「タコをつる」などとも言ったようです。
 背景には、「生徒自治」の美名の下に、学校当局が生徒自身による規律維持を半ば公認していたという側面もありました。
 明治三十五年(一九○二)の兵庫県立神戸中学校(現在の県立神戸高等学校)では、五年生が中心になって次のような制裁規約を定めました。

  第一条  本校ノ校則ニ違反シ、イヤシクモ学生タルノ体面ヲ毀損シタルモノハ制裁ヲ行ウ
  第二条  制裁ノ種類ヲ分カチテ忠告及ビ絶交ノ二種トス   
       (「壬寅(じんいん)規約」より ) 

 

 『神戸高校百年史』(平成九年:一九九七)は、規約制定の目的を、最上級生が校内の気風刷新を図ろうとしたことだとした上で、その当時、鍛錬主義とも言われたスパルタ教育が背景にあったと分析しています。
 

 

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 倉田百三(明治二十一年~昭和十八年:一八八八~一九四三、広島県出身の劇作家・評論家、代表作に『愛と認識との出発』、『出家とその弟子』など)は、自伝的作品『光り合ふいのち』(新世社、昭和十五年:一九四○)の中で、凄惨な制裁の様子を生々しく描いています。

  それは上級生の運動家で、男色家で、校内で一番幅を利かせていた野蛮な、横田という寮生を、吉本という通学生の硬骨漢が発頭になって、同級生一同とはかって校庭でリンチした事件であった。
(中略)
  吉本君はいきなり木刀で横田君の頭を打つと、「みんな来い来い」と招いた。たちまちにして方々から同級生たちの姿があらわれ、横田君は仆(たお)されて、頭を抱えて地上に横たわり、皆がとり囲んで足蹴(あしげ)にした。
 (中略)
   リンチが終ると、その級の人たちは、「皆講堂に集まれ集まれ」と呼び廻った。そして全校生徒は学校当局からのふれの如くに、講堂に集まった。
  吉本君はどもりであったが、壇上に立って、今日横田をリンチした理由を述べて、反対の者は言えと言った。反対を申し立てるものは無かった。
  生徒監や、日頃叱咤(しつた)する体操教師たちは講堂に侍立してるだけで、この非合法の集会を解散させることは出来なかった。        
                     

 これは、倉田が広島県立三次(みよし)中学校(現在の県立三次高等学校)に在学した明治三十四~明治四十年:一九○一~一九○七)の間に体験した事件をもとにしたものだということです。
 

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(三次中学の生徒たち。倉田は後列右から四番目)

 教員の側の対応として、「生徒監や、日頃叱咤する体操教師たちは講堂に侍立してるだけで、この非合法の集会を解散させることは出来なかった」とありますが、百年以上も前の話とは言え、強い違和感を覚えるのは筆者だけではないでしょう。
 こうした上級生による下級生に対する支配、いわゆる年長者支配の体質は、我が国の軍隊や学校に根強くはびこっていたと言います。
 残念なことに、こうした悪弊はその後の軍国主義の拡大と共に、旧制中学校末期の終戦直後まで全国各地の中学校で見られたということです。
 

 ちなみに、小説では、久米正雄『鉄拳制裁』(『学生時代』所収、大正七年:一九一八)、下村湖人次郎物語』(昭和十六年~二十九年:一九四一~一九五四)、嘉村礒太(かむらいそた)『途上』(昭和七年:一九三二)などの作品において、旧制の中学校や高等学校における鉄拳制裁がテーマや題材にとり上げられています。