小説にみる明治・大正・昭和(戦前)の教育あれこれ

小説に描かれた明治・大正・昭和戦前の教育をあれこれ気ままに論じていきます。漱石『坊っちゃん』は「『坊っちゃん』に見る明治の中学校あれこれ」(https://sf63fs.hatenablog.com/)へ。

小林信彦 『東京少年』① 疎開ー縁故か集団か?

【作品】

 東京都日本橋区にある老舗の跡取り息子。昭和十九年八月、中学進学を控えた国民学校六年生の彼は、級友たちとともに山奥の寒村の寺に学童疎開することになった。閉鎖生活での級友との軋轢、横暴な教師、飢え、東京への望郷の念、友人の死、そして昭和二十年三月十日の大空襲による実家の消失、雪国への再疎開……。多感な少年期を、戦中・戦後に過ごした小林信彦が描く、自伝的作品。 (新潮社ホームページ)

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【作者】
 1932(昭和7)年、東京・旧日本橋区米沢町(現・中央区日本橋2丁目)に和菓子屋の長男として生れる。幼少期より、多くの舞台や映画に触れて育った。早稲田大学文学部英文科卒業後、江戸川乱歩の勧めで「宝石」に短篇小説や翻訳小説の批評を寄稿(中原弓彦名義)、「ヒッチコックマガジン」創刊編集長を務めたのち、長篇小説『虚栄の市』で作家デビュー。創作のかたわら、日本テレビ井原高忠プロデューサーに誘われたことがきっかけで、坂本九植木等などのバラエティ番組、映画の製作に携わる。その経験はのちに『日本の喜劇人』執筆に生かされ、同書で1973(昭和48)年、芸術選奨新人賞を受賞。以来、ポップ・カルチャーをめぐる博識と確かな鑑賞眼に裏打ちされた批評は読者の絶大な信頼を集めている。主な小説作品に『大統領の密使』『唐獅子株式会社』『ドジリーヌ姫の優雅な冒険』『紳士同盟』『ちはやふる奥の細道』『夢の砦』『ぼくたちの好きな戦争』『極東セレナーデ』『怪物がめざめる夜』『うらなり』(菊池寛賞受賞)などがある。また映画や喜劇人についての著作も『世界の喜劇人』『われわれはなぜ映画館にいるのか』『笑学百科』『おかしな男 渥美清』『テレビの黄金時代』『黒澤明という時代』など多数。(新潮社ホームページ 著者プロフィール)

 

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小林信彦(新潮社ホームページ 著者プロフィール)

■ 縁故疎開か集団疎開か?

「ねえ、どっちにするの?」
 黒い遮光紙に包まれた電球の下で、問いつめるように母が言う。
「あさって、学校に返事しなければならないのよ。急すぎる話だから、答えにくいだろうけど」
 七月半ばの夜である。みぞおちのあたりを汗が流れるのが、ぼくにはわかった。
 いかにも突然の話だった。
 〈ソカイ〉というものは、ぼくからかなり遠い所にあるはずだった。
 だいいち、東京を離れる者は〈祖国の危機から逃げる〉という意味で、卑怯者とか国賊、と言われていたはずである。
 その言葉が、不意に、ぼくたちに近づいたのは去年〈昭和十八年〉の夏だったと思う。文部省が、学童の〈エンコソカイ〉を促進する、と言い出したのだ。
〈エンコソカイ〉とは、漢字で〈縁故疎開〉と書く。文字通り、血縁をたよって地方に移住することである。それもたった独りでだ。
 ぼくの学級に〈エンコソカイ〉した者が一人いた。今年の春だったと思う。
 三週間ぐらいで逃げ帰ってきた。東北地方のどこかの町の親戚へ行ったのだが、その家ではいかにも迷惑そうで、落語風に言えば、ご飯の時に、三杯目をそっと貰わなければならなかったらしい。
 色が白く、背が高い少年なので、土地の学校へ行けば、「アメリカ人」と呼ばれ、石をぶつけられる。国旗掲揚塔に縛り付けられたこともあり、あんな思いをするのだったら、東京にいた方がずっと良い、と語った。
(中略)
 あとで知ったことだが、国民学校(小学校のこと)三年生~六年生の学童疎開を実施するという政府の方針が、学校側から親たちに伝えられたのは、この年〈昭和十九年〉の七月半ばであり、疎開か残留かの回答を七月二十日までに決めるように内務省から求められていた。
 (中略)
 集団疎開という言葉は知らなかったが、ぼくはその光景を見たことがある。外国のニュース・フィルムの中でだった。
 ソ連(現在・ロシア)の小学生たちが列車に詰め込まれている。駅頭で、分厚いコートを着た母親たちが窓から出た子供たちの首に巻き付いて泣いている。たしか、スターリングラード戦の前だったと思う。
「きみも、あんな風になるかも知れない」
 ニュース映画館につれて行ってくれた叔父がぼくにささやいた。叔父は、若いのにシニックな男だった。
(まさか・・・・)
 ぼくは思った。
(「1眠ったような街」)

 

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実家の和菓子屋は「すずらん通り」にありましたー落合学(落合道人 Ochiai-Dojin)ブログより、「大震災復興絵葉書にわが家を見つけた」( 2011/06/04 23)

図中の○実家というのは、落合氏の実家を指しています

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主人公が通っていた日本橋区立千代田国民学校

(「東京市教育施設復興図集」より、関東大震災後に建てられた鉄筋コンクリート造りの近代的な学校建築でした)

   学童集団疎開が開始されるまでに、政府は昭和18年(1943)12月21日、「都市疎開実施要綱」閣議決定し、文部省においても「学童の縁故疎開促進」を発表(12月10日)していました。
    学童を含む人員の疎開ということについては、軍部や右翼に拒否的な姿勢が強く、時の首相・東條英機などは「国民精神の基盤は日本の家族制度で、死なばもろともという気概が必要で家族の疎開などもっての外」とまで叱責したということです。(星田言「学童集団疎開」の研究)
 しかし、その後の戦況の悪化*から、昭和19年6月30日、学童疎開促進要綱」閣議決定し、7月17日発表、8月実施ということになりました。

昭和19年(1944年)1月~7月
1.4 戦時官吏服務令・文官懲戒戦時特例公布。
1.7 大本営,インパール作戦を認可。インド東北部のインパールを攻略,英・印軍の反攻の阻止と自由インド仮政府の拠点確保をねらう。
1.24 大本営,大陸打通作戦を命令。京漢・湘桂・秀漢の3鉄道を占領して南方占領地との連絡の確保と米空軍基地の破壊を目的とする。
2.17 米機動部隊,トラック島を空襲。日本海軍,艦船43隻・航空機270機を失う。
2.21 東条首相(陸相兼任),参謀総長をも兼任。軍政両面で独裁体制確立
4.4 政府,国内13道府県に非常警備隊設置を決定。

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東條英機、明治17~昭和23年・1884~1948(Wikipedia

 


4月 軍令部,特攻兵器の回天・震洋を実現。
5.5 大本営,防衛総司令官に本土決戦準備の一環として本土内の各地上軍・航空部隊などの統率・指揮権を付与。
5.31 東条首相,軍需動員会議の彫上,7条件を提示して軍需生産力の回復を訓示。
6.15 米軍,マリアナ諸島サイパン島上陸(7.7日本軍守備隊3万人玉砕,住民死者1:万人)。
6.16 中国の成都から飛来した米軍機47機,八幡製鉄所を爆撃。
6.19 太平洋戦争中最大のマリアナ沖海戦(~20)。空母3隻・航空機430機を失っで惨敗。
7.4 大本営,インパール作戦の中止を命令(死者3万人,戦傷病者4万5000人)。
7.18 マリアナ沖海戦の敗北やサイパン島陥落を契機に東条独裁体制への不満が表面化。重臣・皇族らの内閣打倒工作で,東条内閣総辞職

 

 

 上の引用部分は、方針が発表された直後のことです。
 主人公は、比較的裕福な家庭に育っており、「外国のニュース・フィルム」で「ソ連学童疎開」を知っていたというあたりに、 知的好奇心の旺盛な都会っ子の姿が想像されます。

 では、その学童疎開促進要綱」とは、どのような内容だったのでしょうか。

 

学童疎開促進要綱  ※下線は筆者
昭和19年6月30日 閣議決定
https://rnavi.ndl.go.jp/politics/entry/bib00563.php

防空上ノ必要ニ鑑ミ一般疎開ノ促進ヲ図ルノ外特ニ国民学校初等科児童(以下学童ト称ス)ノ疎開ヲ左記ニ依リ強度ニ促進スルモノトス

一、学童ノ疎開ハ縁故疎開ニ依ルヲ原則トシ学童ヲ含ム世帯ノ全部若ハ一部ノ疎開又ハ親戚其ノ他縁故者アル学童ノ単身疎開ヲ一層強力ニ勧奨スルモノトス
二、縁故疎開ニ依リ難キ帝都ノ学童ニ付テハ左ノ帝都学童集団疎開実施要領ニ依リ勧奨ニ依ル集団疎開ヲ実施スルモノトス他ノ疎開区域ニ於テモ各区域ノ実情ヲ加味シツツ概ネ之ニ準シ措置スルモノトス
三、本件ノ実施ニ当リテハ疎開、受入両者ノ間ニ於テ共同防衛ノ精神ニ基ク有機一体的ノ協力ヲ為スモノトス
四、地方庁ハ疎開者ノ的確ナル数及疎開先ヲ予メ農商省ニ通知スルモノトス

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国立公文書館ホームページ


帝都学童集団疎開実施要領
第一 集団疎開セシムベキ学童ノ範囲
区部ノ国民学校初等科三年以上六年迄ノ児童ニシテ親戚縁故先等ニ疎開シ難キモノトシ保護者ノ申請ニ基キ計画的ニ之ヲ定ムルモノトス
第二 疎開
疎開先ハ差当り関東地方(神奈川県ヲ除ク)及其ノ近接県トス
第三 疎開先ノ宿含
一、宿舎ハ受入地方ニ於ケル余裕アル旅館、集会所、寺院、教会所、錬成所、別荘等ヲ借上ゲ之ニ充テ集団的ニ収容スルモノトス
二、都ノ教職員モ学童ト共ニ共同生活ヲ行フモノトス
三、寝具、食器其ノ他ノ身廻品ハ最小限度ニ於テ携行セシムルモノトス
第四 疎開先ノ教育
一、疎開先ノ教育ハ必要ナル教職員ヲ都ヨリ附随セシメ疎開国民学校又ハ宿舎等ニ於テ之ヲ行フモトス
二、疎開先ノ地元国民学校ハ教育上必要ナル協力援助ヲ為スモノトス
三、疎開先ニ於テハ地元トノ緊密ナル連絡ノ下ニ学童ヲシテ適当ナル勤労作業ニ従事セシムルモノトス
四、宿舎ニ於ケル学童ノ生活指導ハ都ノ教職員之ニ当ルモノトス
五、疎開先ニ於ケル学童ノ養護及医療ニ関シテハ充分準備ヲ為シ支障ナキヲ期スルモノトス
第五 物資ノ配給
疎開先ニ於ケル食糧、燃料其ノ他ノ生活必需物資ニ付テハ農商省其ノ他関係省ニ於テ所要量ヲ用途ヲ指定シ特別ニ配給ヲ為スモノトス
第六 輸送
本件実施ニ伴フ輸送ニ関シテハ他ノ輸送ニ優先シ特別ノ措置ヲ講ズルモノトス
第七 経費ノ負担
一、本件実施ニ伴フ経費ハ保護者ニ於テ児童ノ生活費ノ一部トシテ月十円ヲ負担スルノ外凡テ都ノ負担トス
尚前項ノ負担ヲ為シ得ズト認メラルルモノニ付テハ特別ノ措置ヲ講ズ
二、国庫ハ都ノ負担スル経費ニ対シ其ノ八割ヲ補助スルモノトス
第八 其ノ他
一 本件実施ニ伴ヒ出来得ル限リ残存学級ノ整理統合ヲ行フモノトス
二 本件実施ニ当リテハ都ニ於テ疎開先ノ地元府県、市町村ト緊密ナル連絡ヲ図ルモノトス

  田舎に縁故のない主人公一家にとっては、あれこれと熟慮するいとまもなく、集団疎開に応ずることになりました。