小説にみる明治・大正・昭和(戦前)の教育あれこれ

小説に描かれた明治・大正・昭和戦前の教育をあれこれ気ままに論じていきます。漱石『坊っちゃん』は「『坊っちゃん』に見る明治の中学校あれこれ」(https://sf63fs.hatenablog.com/)へ。

コラム3 「昇降口」とは・・・

■ 「昇降口」 ーその始まりはー
 今でも、ほとんどの小・中・高校では、来客や教職員用の玄関とは別に、児童生徒用には昇降口という出入り口が設けられており、登下校の際にはそこで靴を履き替えることになっています。
 歴史をたどってみると、近代公教育の制度が整う以前の、例えば寺子屋などにおいては、民家、寺院などが教場になっており、通ってくる子どもたちは、草鞋(わらじ)、下駄などを脱いで建物に上がり、建物内では素足(冬場は足袋)で過ごしていたようです。 

 明治5年(1872)の「学制」発布後も、新たに学校が建てられたところはごく少数であり、しばらくは以前と同じ状況が続いていました。
 その後、各地で洋風の学校建築が見られるようになると、本来は履物のまま入る洋風建築であるのに、履物を脱ぐためのスペースとして「土足室」明治8年山梨県甲斐市の睦沢学校)、「傘履物置場」明治9年、長野県松本市旧開智学校)、「下足場」明治12年、長野県和(かのお)小学校)などという名称で、現在の「昇降口」に当たるスペースが設けられていました。

f:id:sf63fs:20220318151239j:plain

(真新しい中学校の昇降口、伸明建設株式会社ホームページより)

 国立国会図書館デジタルライブラリーで検索すると、学校教育関係で「昇降口」という言葉が見られる最も古い書物は、渡辺嘉重「改正合級教授術」(柳旦堂、明治20年)です。本書には以下のような記述があります。

第二章 第五 生徒昇降口  *当時は小学校でも児童ではなく「生徒」と呼んでいた
   生徒ノ昇降口ハ男女ヲ異ニスベシ。是レ男ハ本来其ノ性活発ニシテ女ハ従順ナレバ出入リノ際互イニ衝突シテ混雑ヲ生ズルノ恐レアレバナリ。而シテ其ノ昇降口ノ左右ニハ下足箱ト雨具棚トヲ備フベシ。    新字体に改め、句点を補っています。

その後、文部省でも以下のように「昇降口」に相当するスペースを学校必置と定めるようになります。
  

「校舎ハ生徒ノ帽、傘、雨衣、足駄等ヲ置クヘキ場所ヲ備フルヲ要ス校舎ハ成ルヘク講堂、物置等ヲ備フルヲ要ス」

明治24年4月8日文部省令第2号「小学校設備準則」第五条

 このように、「昇降口」という用語が定着していくのは、明治20年代以降のことではないかと思われます。

 建物に入るときには履物を脱いで、上履きに履き替える(実際は素足がほとんどだったようですが)という、我が国古来の「二足制」が引き続き採用され、現在に至っているというわけです。

f:id:sf63fs:20220318152041j:plain

文部省普通学務局 編『小学校建築図案及学校園』 (国定教科書共同販売所, 明治42年・1909)
6学級規模の小学校で、男女「昇降所」が左右対称に設けられています。

 

f:id:sf63fs:20220318152923j:plain

(「震災復興小学校」の一つである旧浅草区新堀小学校の昇降口。下駄箱に蓋が付いています。昭和初年の写真。)

 

■    なぜ「昇降」口? 

昇降口 

戸外から建物への出入口のこと。とくに学校などでは校舎出入のさい、靴と上履きを履き替える場所。

「建築用語.net」

https://www.architectjiten.net/ag20/ag20_1887.html  )

   『広辞苑』もほぼ同じ説明になっていますが、なぜ、そこから「昇ったり降りたり」するわけでもないのに、「昇降」口と呼ぶのでしょうか。
 これについては、私と同様に疑問に思っている人が結構いるようで、例えば有名な「yahoo知恵袋」にはいくつかの質問が寄せられ、以下のような答えがベストアンサーとされています。

この「昇降口」は階段による昇降ではなく人や物が集団で搬出入されるゲートという意味の船舶用語である英語のhatchの訳語で、おそらく幕末から明治初期の海軍知識として新しく生み出されたものだと思われます。そしてその後西洋式の学校建設が広まる時に,生徒達専用の出入り口の名称としてこの用語が転用されたのではないかと。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1444108229?__ysp=5piH6ZmN5Y%2BjIOeUseadpQ%3D%3D

   確かに、「ハッチ」にはそのような意味があります。

〘名〙 (hatch)
① 船の甲板と船内を連絡する通路・昇降口、またそこにつける上げ蓋式の戸。艙口(そうこう)。
※不如帰(1898‐99)〈徳富蘆花〉下「士官公室を出でてまさに艙口(ハッチ)にかからむとする時」
② 建築用語。
(イ) 屋根や床に設ける上げ蓋式の開口。
(ロ) 台所と食堂の間など両側から使える間仕切り棚などの開口。
(出典 『精選版 日本国語大辞典』) 

    ただ、「船舶用語から学校建築への転用」については、その典拠が不明です。これはこれで一概に否定はできない説とは思いますが、私なりに次のような「仮説」(?)を考えてみました。

 

 明治時代には、「学校に行くこと」を少し改まった表現として「登校」とは言わずに、「昇校」(ほかに「上校」とか「出校」という表現も一部に見られますが)と言っていました。

1 学校ニ昇ルベキ刻限ハ課業ノ始マル刻限ノ十分前タルベシ。
 辻岡文助『小学生徒心得』(明治11年・1878)
2  昇校ヨリ授業終始スル迄ハ門外ニ出ヅベカラズ
  『静岡県立浜松中学校一覧』より「第4章内規/第一生徒心得/第2節/第5項」   (明治35年・1902)
3 生徒ハ校内ハ勿論昇校及退校ノ途中ニモ必ズ制服ヲ着シ・・  
   『愛媛県立松山中学校一覧』より「第七愛媛県立松山中学校細則/第6章服装規則/第二十条)(明治41年・1908)  ※下線は筆者

 「昇」「登」を含む建物に関連した熟語というと、古いところでは「昇殿」「登城」「登庁」などがあります。

 学校という空間も、お城やお役所ほどではないにしても、やはり明治の初め頃には、「お上(かみ)の建てた公の場」で(自分たちの生活空間に比べ)一段高く改まった所」というイメージがあったのではないでしょうか。

 そこで、学校へ行くことを「昇校」(上校)などと表現し、逆に一日の課業が終わって学校から出て行くときは、「一段高く改まった所」から日常生活の空間へ「降りる」(下りる、または下がる、退く)と表現したわけです。
 つまり、「昇降口」は児童生徒たちが「登校する=昇る」(登る、上る)「下校する=降りる」(下りる)という日々の行動において、「物理的・心理的な境界」となる場所と位置づけられ、「二足制」(靴の履き替え)と相まって、そのような表現が定着したのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

 

■「昇降口」のこれから
 現職の時の経験から、昇降口というと、清掃の大変さ、毎朝登校時の頭髪や服装の点検など、あまり良い思い出はありませんが、学校の重要な施設の一つとして、その望ましいあり方が研究されているようです。
  以下は、『新たな学校施設づくりのアイディア集』 (国立教育政策研究所、1910年

https://www.nier.go.jp/shisetsu/pdf/idea.pdf)から。

子どもたちを気持ちよく迎え入れる
〜元気に1日を過ごすための昇降口やアプローチ空間の工夫〜
■期待される効果
学校に受け入れられているという安心感
・登校時、最初に訪れる昇降口や玄関が親しみやすいものであったり、そこで様々な情報を得られたりすることで、学校生活への気持ちの切り替えがスムースに行える。
先生や子ども同士のコミュニケーション
・待ち合わせスペース等に子どもたちが自然に集まることで、出会いや交流が生まれる場となる。

・先生も積極的に立ち寄り子どもたちと会話することで、授業中や職員室とは異なる交流を通して子どもたちの思いを知ることができる。

f:id:sf63fs:20220318153854j:plain

前掲の報告書より

◆◇◆ アイディアの要点 ◆◇◆
○昇降口、玄関周り、アプローチ空間などの、登校する子どもや先生を迎え入れる空間について、緑化したり待ち合わせのスペースを計画したりするなど、明るく気持ちのよい空間とするもの。
○学校に関する情報発信の場、先生と子ども、また子ども同士の出会いや交流の場となり、学校生活へ気持ちを切り替える助けとなる
 ■計画のポイント
昇降口
・スムースに靴の履き替えができる空間、学校の情報が発信され、その日の学校の雰囲気を感じ取れるような掲示スペース等を備えた空間とすることなどが考えられる。

 

 「子どもたちを気持ちよく迎え入れる」「学校に受け入れられているという安心感」などという文言にハッとさせられました。
 「情報発信の場」というのは、ポスターなどの掲示物や大型ディスプレーなどで、ある程度はできていたかも知れませんが、そうした児童生徒の立場での教育心理的な視点は欠けていたように思います。
 むしろ逆に、生徒指導担当の教師たちが毎朝立ち番をしていることで、心理的な圧迫を覚えている生徒が結構いたのではないでしょうか。
 たかが「昇降口」、されど「昇降口」といったところでしょうか!!

 

【参考・引用文献】 国立国会図書館デジタルライブラリー

  佐藤秀夫『学校ことはじめ事典』小学館、1987年
  佐藤秀夫『教育の歴史』放送大学出版、2002年
 『新たな学校施設づくりのアイディア集』 国立教育政策研究所、2010年
https://www.nier.go.jp/shisetsu/pdf/idea.pdf
 「はきかえ”を考える 」   

教育環境研究所ホームページ( https://www.iee-net.co.jp/24791.html
*渡辺嘉重『改正合級教授術』柳旦堂、1887年

*文部省普通学務局 編『小学校建築図案及学校園』国定教科書共同販売所, 1909年 

吉田智美・河村美穂「学校生活における上履きの変遷とその役割」『埼玉大学紀要 教育学部58(2)』2009年

神崎綾花・砂本文彦「小学校の二足制採用の歴史的経緯と全国の現状について」『日本建築学会技術報告集第 25 巻第 61 号』2019年

 

※昇降口の問題は、学校での「二足制」を研究している方の論文に、「上履き」(下履き)との関連で必ず出てきます。本来は、「二足制」にも言及しなければいけませんが、今後のテーマとして残しておきます(笑)