小説にみる明治・大正・昭和(戦前)の教育あれこれ

小説に描かれた明治・大正・昭和戦前の教育をあれこれ気ままに論じていきます。漱石『坊っちゃん』は「『坊っちゃん』に見る明治の中学校あれこれ」(https://sf63fs.hatenablog.com/)へ。

本庄陸男『白い壁』その5 健全な精神は健全な肉体に宿る??

 昇汞水(しょうこうすい)に手を浸しそれを叮嚀(ていねい)に拭いた学校医は、椅子にふんぞりかえるとその顎で子供を呼んだ。素っ裸の子供は見るからに身体を硬直させて医師の前に立った。彼はまず頭を一瞥して「白癬(はくせん)」と言った。それから胸をなでて「凸胸」下腹部をおさえてみると、低いがよく透る声で「ヘルニヤ」と病名を呼ばわった。側に控えていた看護婦が身体状況調査簿に万年筆をはしらせてすらすらと書きこんで行った。
「よし!」
 突きはなされた子供はほっとした微笑を浮べて、医師の前をとび退く。そして検査場の隅に脱ぎ棄てておいた自分の着衣を捜しだす、垢に汚れたシャツにはぼたんが一つもついていなかった。
 椅子から腰をあげた医師は、昇汞水に指を浸してゆっくり消毒しながら、後手を組んでつっ立っている校長に話しかけた。
「今の子の家庭は何でしょうかね?」
 校長は子供に混っている杉本をじろっと見て、「君い――そのう……」と訊ねた、「今の子のうちは何をしとるんかね?」
 ずたずたとなった三尺を捲きつけていたその子はふいにその手を停め、やぶにらみに受持教師の顔色をうかがっていた。杉本は「さあ――」と首をふって答えなかった。すると看護婦が気を利かしたつもりで、調査簿に書きこまれた家庭職業を報告した。
「金偏に芳――かんばしいの芳が書いてありますが、私には読めませんわ」
 (中略)
 
 椅子にかえった医師は、尖った顔をぐいと引いてまた次の子供を呼ぶのであった。
「さ、次の番!」
 待ってましたとばかりに久慈恵介はすっぽり丸裸になり、元気よく医師の前に立った。
「耵聹栓塞(ていでいせんそく)、アデノイド、帯溝胸――ふん!」医師は眼鏡を光らせて、はじめて感情をふくめたよろこびの声をあげた。
「おお、これはみごとな帯溝胸だ、ごらんなさい、どうです?」
 そばにいた看護婦は立ちあがってきたし、校長はたるんだ瞼を引きしめた。
「あたいん家はね、東京市の電気局だよ」と久慈は元気よく金切声をあげた。
 医師はその声を無視した。彼の興味は家庭の状況よりも、ほとんど畸型(きけい)に近い久慈恵介の胸にかかっていたのだ。彼はすかしてみたり、深さを測ってみたりした。そうしてますます感心し「ふうん――」と鼻を鳴らすのであった。
 順番を待っていた子供の中から、妬(やっか)んだ声が洩れてきた。
「久慈い――ちんちん、ごうごう、おあとが閊(つか)えています。久慈い――おあとが閊えているよ、早くかわんな」
 それを聞くと久慈恵介はきゅうに全身で真赤になった。彼はまだしきりに撫でている医師の手をふり払った。自分自身の体の醜さに気づき、それと父親の仕事が嘲られた口惜しさがいっしょくたになった。彼は素っ裸のまま声を立てて泣きだした。
 裸体になったとき、その子供たちの不幸が一度にさらけだされるのであった。しちむずかしい病名が、まっ黒になるほど書きあげられた。医師はそれによって今さらのごとく感心してみせた。「健全な精神は健全な肉体に宿る……昔の人はいいことを言ったもんですなあ、え? そうじゃありませんか?」すると校長もそれに答えるのである。「こんな不健全な身体では智能発達の劣るのもむりはありませんですな、いや、まったくもって家庭が悪い!」(五)
(註)・昇汞水(しょうこうすい)・・・・昇汞に食塩を加えて水に溶かしたもの。毒性が強く、かつて消毒液として使用された。
 ・耵聹栓塞(ていでいせんそく)・・・・耳垢が大量にたまって外耳道をふさぐこと。また、その状態。耳痛や難聴の原因となることもある。
・アデノイド・・・・ 咽頭扁桃肥大症のこと
・帯溝胸・・・・胸骨の一部が陥没している漏斗胸のことか?

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学童健康相談 昭和10年(1935) 山形市第三小学校 「日本学校保健会100周年記念誌」より

■「子供たちの不幸が一度にさらけだされる」 ー学校健康診断の場面からー

 大正9年(1920)にそれまでの「学生生徒身体検査規程」(明治30年・1997公布)が廃止されて、新たに発育概評の標準を定めた「学生生徒児童身体検査規程」が制定されました。
 これはすべての学校の学生・生徒・児童に対して原則として、毎年4月(やむを得ないときは5月)に実施するものとされました。検査項目は次の通りです。
 

身長、体重、胸囲、発育概評、肺活量、脊柱、栄養、視力、色神、色覚、眼疾、聴力、耳疾、歯牙、その他の疾病及び異常

 

(参考)現行の「学校保健安全法」に基づく健康診断項目
身長・体重、視力・聴力、眼の疾病・異常の有無、耳鼻咽頭疾患・皮膚疾患の有無
脊柱・胸郭の疾病・異常の有無、歯・口腔疾病・異常の有無 栄養状態
その他の疾病・異常の有無(知能検査 etc.)
結核の有無、心疾患・異常の有無、尿検査
平成26年4月に学校保健安全法施行規則の一部が改正され、学校健康診断の必須項目から座高測定が削除されました)

 本作品に登場する児童の多くは、当時の言葉でいうところの「精神薄弱」(知的障害)だけではなく、身体的にも様々な疾病を抱えていました。

柏原富次  発育不全、鼻加多児(びカタル) 
塚原義夫  〇・五しかない視力
久慈恵介 耵聹栓塞、アデノイド、帯溝胸

 

 「健全な精神は健全な肉体に宿る」などと子供たちの厳しい現実をよそに無責任なことをいう学校医や「いや、まったくもって家庭が悪い!」と調子を合わせて的外れなことをいう校長!
 ちなみに、「健全な精神は~」の格言は本来「人は、神に対して『健全なる身体に健全なる精神』が与えられるように祈るべきだ」(古代ローマの詩人ユウェナリスの風刺詩集の一節)という一文でしたが、そこから「…ように祈るべきだ」という部分が省略されて流布しているということで、あちこちで「都合のいい」使われ方をしている格言ではあります。

   

 「子供たちの不幸」には、先天的な要因が多くを占めていることはいうまでもありませんが、関東大震災大正12年・1923)から約10年、昭和不況下にあって彼らを取り巻く家庭、経済、その他の生育環境には、極めて厳しいものがあったことが容易に想像されます。

 大正期の調査結果によると、学校のある深川区(現・江東区)を初めとして、安定したした職業を持たない都市下層民の多い地域では、「身体虚弱児童」の比率が比較的高かったということです。
 そうした実態は、作品の時代背景となっている昭和9年(1934)頃においても、大きな変化はなかったと思われます。

 以下は、そうした当時の貧困と身体虚弱児童との関連についての論文です。

 

 当時の医師も都市の子どもの特質として、身長の著しい伸びに比較して、胸囲の発育が劣っている点を指摘する。つまり、大正期の都市児童の身体的特徴は、長身で痩せ型という点にあったといえる。そして先に述べたように、大正期の人々は、このような「身長高く、体量軽く、胸囲狭く、所謂ヨロヨロの人間」が、「都市」特有の生活環境上の要因によって形成されていると認識したのであった。 (中略)
 このような生活(成長期の児童に必要な動物性蛋白質やカルシウム、ビタミン等を摂取が極めて不十分)を送る都市下層民の子どもの多くは、身体状況に課題を抱えていることも多かった。文部省学校衛生課の『身体虚弱児童の取扱に関する調査』に対する東京市の各小学校の回答をみると、「身体虚弱児童」の人数の割合が高い学校の上位を貧困層の児童を対象としていた東京市営の「特殊小学校」や、本所区深川区などの、貧困層が多く居住した地域の小学校が占めている。このことから、当時の「身体虚弱」は、貧困問題と強い相関関係があったといえるのである。
 また、先の医師によれば、子どもの「身体虚弱」は遺伝的要素の影響もあるが、栄養不足や住居の狭隘などの後天的要因が長時間にわたって影響した結果、発生すると結論付けている。このため、大正期の「都市下層」の子どもにおいては、栄養不良をはじめとする後天的要因による「成長遅滞」「栄養不良」「疾病」が多数を占めていたと考えられる。

野口穂高「大正末期から昭和初期の東京市における『牛乳配給事業』の研究」ー「身体虚弱児童」への対応を中心にー」全国地方教育史学会紀要『地方教育史研究(38)』2017年※下線は筆者
  

 

■ 欠食児童問題

 作中、柏原富治が次のように言うシーンがあります。

 『あたいはね、今日ね、お弁当を持ってきたんだよ』と富次は胸にたたみきれない喜びを露骨にあらわして、平然と使丁に話しかけた。『うそだと思うんだったら、見せてやろうか? え?』
 今では、死語になりかけつつある「欠食児童」という言葉ですが、昭和初期の恐慌期や終戦直後には、大きな社会問題の一つになっていました。

〘名〙 家庭の貧困や食糧不足などのために、昼の弁当を持ってこられない児童。食物も満足に食べられない児童。(『精選版 日本国語大辞典』)

 昭和7年(1932)に文部省訓令第18号「学校給食臨時施設方法」が示され、国庫補助による学校給食が実施されることとなってはいましたが、本作品を読む限りでは、登場する児童たちは、その恩恵にあずかってはいなかったようです。

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欠食児童の弁当に給食をつめる用務員さん、昭和9年(1934)青森県https://www.artefactoryimages.com/47800191/

 昭和7年(1932)2月24日付けの「官報」には、「東京市社会局談」として、「市内欠食児童の現状」という記事が掲載されています。 (新字・現代仮名遣いに改めています)

▼欠食理由は貧困、成績は大部分わるい▲
 お弁当を持たないで学校、または託児所へ来るいわゆる「欠食児童」を調査したところが、市立小学校203校、私立小学校2校のうちで、市立小学校は111校2847名、私立では1校1名で、託児所は市立13箇所、273名、私立7箇所144名である。
 これらの悲惨なる児童の年齢を見ると、託児所はじずれも3歳ー7歳の学齢期前の幼児であるが、小学校のものは11歳が511名で最多数、9歳のもの468名である。
 これを各区別に見ると、カード階級(要生活保護世帯)の最も多い深川区が欠食児童の数も多く764名で、総数の26%を占めている。次が本所区の466名、四谷区の431名、浅草区の278名、小石川区の195名、芝区の168名で、最も少ないのが、神田区の2名、日本橋区には一人もいない。
 (中略)
 欠食児童の健康はというと、健康のもの1991名で総数の70.9%、病弱のものは892名で総数の29.1%に当たり、寒心すべき数字を現している。また学校成績はどうかというと、欠食しているため注意が散漫になるため、成績のわるいものが多く、成績のよいもの265名、ややよいもの1305名、思わしくないもの1256名で、これは教育上ゆゆしき問題である。以上の欠食児童の性情をいうと、活発なるものは少なく、概して温和のものが多いが、怜悧なものは非常に少なく、大部分は遅鈍である。
 欠食理由としては、貧困のためのものが最も多く2340名、保護者または家族が病気であるためのもの56名、失業家庭の子弟298名、職業が安定しないためのもの39名で、あとは不明である。(後略) ※太字・下線は筆者

 本作品に登場する児童たちは、知的発達障害だけでなく、貧困、劣悪な家庭環境、疾病などと先天的、後天的なハンデを背負っていました。

 そうした児童たちを担当することになった杉本は「何とかしてこの子供たちも人並みにしたいと奮闘(一)」しましたが、「ここ数ヶ月の無駄な努力(一)」を思うとき、全く如何ともしがたい無力感に襲われるのでした。

 

【参考・引用文献】国立国会図書館デジタルライブラリー

公益財団日本学校保健会『日本学校保健会100周年記念誌』2020年
 ( https://www.gakkohoken.jp/books/archives/248

野口穂高「大正末期から昭和初期の東京市における『牛乳配給事業』の研究」ー「身体虚弱児童」への対応を中心にー」全国地方教育史学会紀要『地方教育史研究(38)』2017年

*「官報」昭和7年(1932)2月24日「市内欠食児童の現状」(東京市社会局)