山本有三『波』その1 特殊小学校とは・・・・
【作品】
昭和3年東京・大阪両「朝日新聞」に連載された。「妻」「子」「父」の3部からなる。小学校教師見並行介は教え子のきぬ子と結婚したが、妻の不貞に悩まされ、さらに生まれた子供への疑惑にさいなまれる。この深刻な悩みを越えて人類愛に生きようと努力する主人公の姿に、作者の理想主義的人生哲学をうかがうことができる。(岩波文庫解説)
【作者】山本有三 明治20~昭和49年(1887-1974)
1887(明治20)年、栃木県生れ。東京帝大独文科卒。1920(大正9)年、戯曲「生命の冠」でデビュー。『嬰児殺し』で注目を集め、日本の新劇の基礎を固めた。大正末期から小説にも手を染め、『波』などの新聞小説で成功を収める。その後、ひたむきな女医を描いた『女の一生』、勤め人一家の愛と犠牲の日々を書いた『真実一路』、逆境をたくましく生きる少年を書いた『路傍の石』で国民的作家となった。子供達に向けて書かれた『心に太陽を持て』は、今も小・中学生に読まれている名作。 (新潮社・著者プロフィール、https://www.shinchosha.co.jp/writer/3175/)
行介が深川のT小学校に奉職したのは、もう七、八年も前のことである。そこは、いわゆる特殊小学校で、月謝は無論とらないし、教科書なども、たいていは支給していた。そういう学校だから、生徒の家庭はほとんど貧しいものに限られていた。
彼が最初に受け持ったのは、尋常三年の女生徒の組だった。この級は柏木(かしわぎ)訓導の受け持ちで、一年からずっと持ちあがってきたのが、不幸にして同訓導が重病にかかったので、行介がそのあとを引きついだのであった。きぬ子はその生徒のうちのひとりだった。
師範を出たばかりで、すぐ女生徒を受け持つのは、かなり苦しいことだった。学課以外に、時には、生徒の髪を結んでやったり、髪にわいてるシラミを取ってやらなくてはならないようなことが、往々あったけれども、実地に教育に携わる喜びは、どんな労苦をも労苦とは思わなかった。もとより教壇の上から見る生徒は、どれも一様に彼の子どもだった。ある生徒をより多く愛し、ある生徒をより少なく愛するというようなことは、いっさいなかった。ただ、きぬ子だけは級長をしていたので、いくらか多く目についたが、級長にしては、そう頭のいいほうではない、と思ったくらいで、彼女を特別にかわいがるということはなかった。(二ノ一)※作品が新聞に掲載されたのは、昭和3年(1928)ですが、主人公が当該の小学校に勤め始めたのは、「もう七、八年も前のこと」とあるので、作中時間は大正半ば頃と思われます。
■ 特殊小学校とは・・・
主人公の見並行介が勤める「特殊小学校」とは、東京市(現在の東京都23区に相当する区域)が、明治36年(1903)から、経済的に窮迫している子どもたちへの就学普及を目的として、授業料を徴収せず学用品も貸与・支給した、市直営の「東京市特殊尋常小学校」(大正8年〈1919〉以降は「東京市立直営小学校」と改称)のことです。
明治36年(1903)に、大規模な貧困地域の下谷区万年町(現在の東京都台東区東上野)、深川区霊岸町(現在の東京都江東区白河)、四谷区鮫河橋(現在の東京都新宿区若葉)などに設置され、その後、都市下層・貧困層が集住する地区を中心に大正7年(1918)までに11校が設置されました。
東京市が市会に「特殊尋常小学校」設立の議案を提出した明治34年(1901)当時、全国の就学率が88.05%であったのに対して、東京市は82.42%。スラムの存在した区では次のような低い数値を示していました。
深川(71.1) 本所(75.9) 下谷(65.7) 四谷(75.2)
貧困地域や貧困層の子どもの就学率の低さに着目した東京市では、市の事業として特殊小学校を開設することにより、就学率の向上を目指しました。
授業料の無償化に加えて、児童労働に配慮した二部教授編制・夜学部開設や学用品・生活品の給与、入浴、理髪、疾病の診察治療、小遣の貯金、家庭訪問など、子どもの健康や生活の改善につながる各種の「特別な教育的配慮・対応」を実施することで就学を促したのです。(「デジタル港区教育史」)
明治33年(1900)、後の大正天皇のご結婚を記念して、皇室から東京市に教育費として8万円が下賜され、市では貧困による不就学児童の解消に充てたという経緯もあったということです。
■ 特殊小学校における様々な措置
「月謝は無論とらないし、教科書なども、たいていは支給していた」とありますが、その実態はどうだったのでしょうか。
「東京市立小学校施設事項第一輯」(大正6年・1917、東京市教育課)に記載された「萬年特別尋常小学校」についての内容を整理してみました。
1 主な給与品
・学用品・・・半紙 習字筆 筆記筆 鉛筆 雑記帳 綴方帳 算術帳 手工用品 裁縫用品など
・生活用品・・・石鹸・手拭 油元結いビン梳櫛 校内履き物 手巾 洗濯石鹸 児童会費 保護者会費
・その他・・・疾病手当用品 運動会・遠足用品(1回1銭五厘) 式日用品2 授業時間
・昼間部・・・1~4学年は半日二部教授 毎週18時間(4~6月は24時間)
・夜間部・・・5・6学年は午後6時から9時、毎週18時間3 生計上の補助
・特別手工科・・・万年人形を主とする粘土細工(男子)編み物(女子)
※生活上の困難の甚だしい者には、実業家との連絡を取りながら、仕事を紹介している。幼児保育・・・保育の施設はないが、幼い弟妹を連れて登校、近くの「幼児受託場」に預けさせ、子守のために就学の機会がなくならないようにしている。
・衣類食料の給与4 収容方法と収容者数
イ 本校職員の「奨励説諭」により申し出た者
ロ 区役所より指定された者
ハ 家主、警官、医師、僧侶などの紹介で次の職業に相当する貧困な者
①紙屑拾い 日傭人足 下層の日給取り 人力車夫 荷車挽き 刃物研ぎ 蝙蝠傘の骨直しなど
②内職、家内工業に従事する者
ニ 開校以来の収容者数(明治36~大正6年・1903~1917)
男子1732人 女子1909人 計3641人5 出席奨励法
通学団・・・各学級毎に通学団を設け、団長には団員の出席を督励させ、学級担任への遅刻欠席の届けもさせる。6 家庭訪問
欠席や遅刻の多い者には担任が家庭訪問をし、行方不明または奉公に出た者については、2~3ヶ月は在籍として注意を払う。
7 褒賞
学期末学年末に、「出席状況良好なる者」に対して賞状賞品を与える。
出席状況良好な学級は学期末学年末に賞状賞品を与えて表彰する。
(「児童の理髪の様子」〈時期不明〉、『東京都教育史通史編2』の口絵より)
【参考・引用文献】 ※国立国会図書館デジタルコレクション
山本有三『波』岩波文庫、1992年(第53刷)
『東京都教育史 通史編2』東京都立教育研究所、1995年
加登田恵子「我が国における貧児教育ー東京市特殊尋常小学校の成立と展開ー」『社会福祉23号』日本女子大学社会福祉学科、1983年
別役厚子(1995)東京市「特殊小学校」の設立過程の検討―地域との葛藤に視点をあてて―、『日本の教育史学』第38 集
石井智也ほか「1900年代の東京市における『特殊小学校』『特殊夜学校(夜間小学校)』の開設と子どもの『貧困・児童労働・不就学』への対応」『東京学芸大学紀要. 総合教育科学系 70 (1)』2019年
「デジタル 港区教育史」(https://adeac.jp/minato-city-kyouiku/top/)
『通史編4/大正期の教育 / コラム「特殊小学校」の廃止』
『第二章明治後期 / 第三節教育――近代教育の展開 / 第一項初等教育制度の整備/不就学児・就学困難児への対策』
※「東京市立小学校施設事項第一輯」東京市教育課、1917年