小説にみる明治・大正・昭和(戦前)の教育あれこれ

小説に描かれた明治・大正・昭和戦前の教育をあれこれ気ままに論じていきます。漱石『坊っちゃん』は「『坊っちゃん』に見る明治の中学校あれこれ」(https://sf63fs.hatenablog.com/)へ。

新田次郎「聖職の碑」その1 学校登山と大量遭難事故

【作品】
 大正2年8月26日、中箕輪(なかみのわ)尋常高等小学校生徒ら37名が修学旅行で伊那駒ケ岳に向かった。しかし天候が急変、嵐に巻き込まれ、11名の死者を出した。信濃教育界の白樺派理想主義教育と実践主義教育との軋轢(あつれき)、そして山の稜線上に立つ碑は、なぜ「慰霊碑」ではなく「遭難記念碑」なのか。悲劇の全体像を真摯に描き出す。(講談社文庫解説)

【作者】
 1912(明治45)年、長野県上諏訪生れ。無線電信講習所(現在の電気通信大学)を卒業後、中央気象台に就職し、富士山測候所勤務等を経験する。1956(昭和31)年『強力伝』で直木賞を受賞。『縦走路』『孤高の人』『八甲田山死の彷徨』など山岳小説の分野を拓く。次いで歴史小説にも力を注ぎ、1974年『武田信玄』等で吉川英治文学賞を受ける。1980年、心筋梗塞で急逝。没後、その遺志により新田次郎文学賞が設けられた。実際の出来事を下敷きに、我欲・偏執等人間の本質を深く掘り下げたドラマチックな作風で時代を超えて読み継がれている。(新潮社ホームページ「著者プロフィール」、https://www.shinchosha.co.jp/writer/2420/、2021/11/10参照)

新田次郎(新潮社ホームページより)

遭難事故を報じた読売新聞記事

駒ケ岳登山の惨事
小学生徒の凍死 行方不明12名
上伊那郡中箕輪村小学校長は、生徒37名を引率して26日駒ケ岳に登山し、内17名は生死不明となり、目下捜索中。
豪雨ミゾレと化す
当日午前5時、校長赤羽長重,訓導征谷義一、同清水茂樹の3氏、高等課生徒25名、卒業生9名を引率して駒ケ岳登山を行い、8時頃その絶頂に達したるが、折柄天候急変し、暴風雨一時に来襲せしかば、一同小屋内に入りて休憩中戸破れ屋根落ちて何れも全身ズブ濡れとなり加うるに寒気俄に増して篠つく雨はミゾレと変じ、終身凍てつくばかりに活きたる心持ちせず、互いに相抱きて暖を取り居りしも、生徒1名は遂に凍死し、他に2名の瀕死者を出せしかば、危険を冒して下山することとせり。
校長亦凍死-
ここに於いて、校長友び訓導は前記2名の生徒を背負い相扶けつつ下山の途につきたるが、翌27日午前9時頃、しばらく中腹なる農ケ池に達したる時2名の生徒も遂に惨死し、校長自身も之れがため、自身共に疲労して是亦凍死するに至れり…
出典:読売新聞(大正2年8月29日)

遭難記念碑(Yamakei Online より)

■ 学校登山の伝統
 

 我が国では、いわゆる野外活動(野外教育)として、キャンプ、林間学校、遠泳訓練などが古くから行われていました。
 本作品の舞台となった長野県は、日本アルプスをはじめ、3千mを超える峰が15座もある日本一の山岳県であり、学校登山がすでに明治時代の中頃に始まっていました。
 修学旅行としての学校登山は、明治22年(1889) 7月に実施された長野県尋常師範学校(現・信州大学教育学部)の白根・浅間登山をもって嚆矢とするというのが定説となっています。 
 その後、明治の後期になると、県内各地の学校で学校登山が行われるようになり、上伊那地方でも三十年代に入ると、高等小学校の生徒を対象に駒ヶ岳登山が実施されるようになります。
 中箕輪尋常高等小学校では、明治43年(1910)に赤羽長重氏(明治4~大正2年・1871~1913)が校長に着任すると、翌明治44年(1911)から、駒ヶ岳(高等二年、現在の中学二年生に相当)及び経ヶ岳(高等一年)への登山が行われるようになりました。
 

赤羽長重(あかはね ちょうじゅう、『長野県 上伊那誌第4巻(人物編)』より)

 このように、小学校教員を養成していた尋常師範学校(後に師範学校)で登山を経験した教員たちが、それぞれの赴任地で登山を広めたことが、後に隆盛をみる本県にお ける学校登山の基礎となったことがうかがえます。
 ただし、ここで注目しておきたいのは、これらの学校登山が、今日的ないわゆる野外活動の一環としてではなく、「修学旅行」として実施されていたということです。
 修学旅行も時代の変遷により、形態は様々であったことが知られていますが、この登山などは、まさに地域性の強く表れた独自のものであったようです。
 なお、現代の我々の感覚から少し疑問に思われるのは、この登山修学旅行が高等科男子生徒に限定されていることです。管見では、女子についてはどのような修学旅行があったのか、それともなかったのかは不明です。

上伊那地域伝統の中学2年生の学校登山は日帰りが中心

信濃毎日新聞デジタル」2022年7月5日

【参考・引用文献】   ※国立国会図書館デジタルコレクション
井村仁「わが国における野外教育の源流を探る」『野外教育研究10(1)』2006年
箕輪町郷土博物館『中箕輪尋常高等小学校遭難』」(平成二十四年(2012)特別展パンフレット)
※上伊那誌編纂会 編『上伊那誌 : 長野県 第4巻 (人物篇)』上伊那誌刊行会、1970年