小説にみる明治・大正・昭和(戦前)の教育あれこれ

小説に描かれた明治・大正・昭和戦前の教育をあれこれ気ままに論じていきます。漱石『坊っちゃん』は「『坊っちゃん』に見る明治の中学校あれこれ」(https://sf63fs.hatenablog.com/)へ。

コラム11 ランドセル そのはじまりは?

仲よし小道は どこの道
いつも学校へ みよちゃんと
ランドセル背負(しょ)って 元気よく
お歌をうたって 通う道
 (作詞:三苫やすし、作曲:河村光陽、『仲よし小道(なかよしこみち)』、昭和14年・1939)

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 80年以上も前の童謡にも歌われたランドセル。今もほとんどの小学生が通学時に教科書、ノートなどを入れて背中に背負う鞄(かばん)ですが、いったいいつ頃から使われているのでしょうか。また、あの独特の形は・・・?

 

■ もとは陸軍兵士の軍装から

 幕末の頃、洋式の陸軍を編制する際に、幕府はオランダ兵学書の訳本を使って教練を開始しました。

 兵士たちの背負う背嚢(はいのう)をオランダ語では「Ransel」(ランセルと言いましたが、発音しにくかったのか、我が国では途中に「ド」を補って「ランドセル」または「ラントセル」と言うようになったとされています。

 

セウプケン著述, 山脇正民 訳, 村上文成 画
和蘭官軍之服色及軍装略図』(安政5年・1858)より

 

フアン・デ・スタツト 編『實用蘭和辭典』より


 

 明治10年(1877)の西南戦争の様を描いた飯田定一 編『鹿児島征討実記 : 絵入2号』(同年4月)には、「鎮台兵の人々は~ランドセルを負ひ早や一隊の斥候兵を水俣さして・・・」とあります。新字体に改めています

 既にこの頃には、一般書においても兵隊の背嚢をそのように称していたようです。

 

 その後、1880 年代後半に入ると、高等師範学校(現・筑波大学)、高等中学校(後の旧制高等学校)、学習院などで兵式体操が導入されると、軍装品であったランドセルは学校用具の一つとなっていきます。

日清戦争の頃から高等小学校などでも兵式体操が実施された。子供たちの背中にはランドセルが。(明治29年・1896、「ジャパンアーカイブズ」より)

 

■ 学習院から始まった通学鞄としてのランドセル

 「ランドセル 歴史」で検索してみると、Wikipediaを始めとして、ランドセル工業会、各メーカーなどのホームページでは、そのほとんどで「学習院(初等学科)が明治20年(1887)に初めて通学用の鞄としてランドセルを採用した」と解説されています。

 多くの解説が典拠としている佐藤秀夫『学校ことはじめ事典』では、その経緯についてこう述べられています。

 貴族学校である学習院では、柔弱さを矯(た)めるために通学の際、学校へ直接に馬車または人力車で乗り付けることを厳禁し、学校から二町*(200メートル余り)以内で車から降りてそれから徒歩通学すること、教科書・学用品などは従者に持たせることなく、生徒自らが必ず携行することを命じた。そうとなると、それら教科書・学用品などを収めて持ち運ぶための用具が必要になる。軍装品だったランドセルがこの目的に用いられることになった。1885(明治18年)のことである。  

*1町は109メートル。

「ランドセル130年史より」

 学習院との関連では、もう一つ必ず次のエピソードが紹介されることが多いようです。
   

箱型ランドセルの誕生
 リュックサックに近い形の背のうが、現在のようなしっかりとした箱型ランドセルに変わったのは、明治20年のことです。大正天皇学習院ご入学祝いに、伊藤博文が箱型の通学かばんを献上しましたが、これが、ランドセルの始まりだとされています。
(ランドセル工業会ホームページより) ※下線は筆者


 ところが、この説について学習院大学史料館では、「広く流布している話ですが、史料的根拠不明のため、当館では採用していません」ときっぱり否定しています。

https://twitter.com/g_shiryokan/status/1260792562622754818?lang=ja

 

 国立国会図書館デジタルコレクションで、色々調べていると、明治19年(1886)から宮中顧問官兼明宮(はるのみや・後の大正天皇、当時8歳)御養育主任を務めた土方久元天保4 〜 大正7年・1833〜 1918、後に伯爵)に、大正天皇とランドセルをめぐる次のようなエピソードを含む回想文がありました。

明治25年(1892)13歳の明宮嘉仁親王
(はるのみやよしひとしんのう、Wikipedia

 

 (明宮殿下は)それから陸軍の練兵をご覧になって兵士の背中に負って居るランドセルが非常に御気に入って、あれが欲しいという仰せ、それから早速私が言いつけて唯々拵えて上げました。それから方々御出のおりにも御馬車の中でも矢張り空っぽなランドセルを背負って御出になりました。追々学習院に御学びになる様になると、始めて其のランドセルの中へ御学問の御道具を御入れになって、御出になった。それを見ると生徒が皆それに倣うてランドセルの中へ学事用の物を入れて学校へ通う様になった。それが今全国何処へも大抵及んで居る。学生がランドセルを負って歩くという事は、今の陛下の御幼年の折になされたことである。是が嚆矢となって居る。    

*嚆矢・・・・物事の始まり
   『國學院雜誌 第18巻8号』「先帝の御逸事」より

※下線は引用者。漢字は新字体、現代仮名遣いに改めています。

 この記述が正しいとすると、大正天皇学習院入学の前からランドセルがお気に入りであったということで、今に伝わる伊藤博文献上説」は誤りということになります。

  なお、この学習院型のランドセル」は、黒色の皮革製で「かぶせ」と呼ばれるフタが、本体をすっぽり包み込むように設計された構造になっています。
 学習院の許可を得て市販されるようになったこのタイプのランドセルは、当初は東京山手の中産階級以上に広まり、その後昭和4年(1929)に特許権問題の解決によって各社が参入すると、購買層は拡大していったということです。

学習院初等科通学風景 男女とも黒色で校章が型押しされている
学習院初等科ホームページより https://www.gakushuin.ac.jp/prim/

 

■ 明治時代 一般の通学スタイルは・・・・

明治期の通学風景
唐沢富太郎『図説明治百年の児童史・上』より

 上の写真に見るように、明治・大正期における一般の通学スタイルとしては、風呂敷布製の肩掛鞄に学用品を入れてというのがごく普通でした。

大正時代の通学風景(愛媛県弓削町、『弓削町誌』より)

 昭和に入ってからも、地方においては風呂敷布製の肩掛け鞄などが主流であり、庶民にとって、まだまだランドセルは高嶺の花でした。

 ランドセルが、全国的に小学校新入生の必需品となるのは、太平洋戦争後の1950年代後半(昭和30年代以降)からというのが定説です。

『ランドセル130年史』より

 孫二人のうち、上の男の子が来春小学校に入学します。今時はどんなランドセルが流行っているのでしょうか?百貨店の売り場を覗く機会が増えそうです。

そして、家内に嫌がられながらも蘊蓄を語っていることでしょう(笑)

 

 

【参考・引用文献】  ※国立国会図書館デジタルコレクション
日向野一生『学校ものかたり』第一公報社、2011年
佐藤秀夫『学校ことはじめ事典』小学館、1987年
唐沢富太郎『図説明治百年の児童史・上』講談社、1968年
「ランドセルの歴史」ランドセル工業会ホームページ
  https://www.randoseru.gr.jp/history/rekishi.html
※セウプケン 著述, 山脇正民 訳, 村上文成 画『和蘭官軍之服色及軍装略図』1858年
※『國學院雜誌 第18巻8号= The Journal of Kokugakuin University』國學院大學,1912年
林 雅代・山田 彩佳「ランドセルの歴史と日本人のジェンダー観の関連に関する研究
―ランドセルの色の変遷に着目して―」南山大学紀要『アカデミア』人文・自然科学編 第 24 号、2022 年
学習院初等科ホームページhttps://www.gakushuin.ac.jp/prim/
※『弓削町誌』弓削町、1986年
「ランドセル130年史 ランドセルの軌跡、そして・・」一般社団法人日本鞄協会、2016年、 https://www.randoseru.gr.jp/ebook/book/

※フアン・デ・スタツト 編『實用蘭和辭典』南洋協會、大倉書店、1922年