小説にみる明治・大正・昭和(戦前)の教育あれこれ

小説に描かれた明治・大正・昭和戦前の教育をあれこれ気ままに論じていきます。漱石『坊っちゃん』は「『坊っちゃん』に見る明治の中学校あれこれ」(https://sf63fs.hatenablog.com/)へ。

2023-03-01から1ヶ月間の記事一覧

新田次郎「聖職の碑」その2 雑誌「白樺」の影響を受けた教師たち

日露戦争が終わるとと共に、信濃の教育界はそれまでにない大きな変革をしようとしていた。従来の文部省の教育方針に対して反対する教育者が処々に現れたが、信濃の教育者の母体である信濃教育会は、これらの新しい主張に対して黙視する姿勢をとっていた。信…

新田次郎「聖職の碑」その1 学校登山と大量遭難事故

【作品】 大正2年8月26日、中箕輪(なかみのわ)尋常高等小学校生徒ら37名が修学旅行で伊那駒ケ岳に向かった。しかし天候が急変、嵐に巻き込まれ、11名の死者を出した。信濃教育界の白樺派理想主義教育と実践主義教育との軋轢(あつれき)、そして山の稜線上に…

コラム10 級長さんは大変だった!? ー 明治の小学校における級長規則から ー

現在、小・中・高等学校などにおいては、各学級に「学級委員長」(クラス委員、クラス委員長、委員長などとも)が置かれているのが普通です。(私学の中には、戦前と同じく「級長」と称しているところもあるようです。さすがに「組長」はないでしょうが (^0^…

黒島伝治『電報』その3 中学校は「高嶺の花」?!

明治45年(1912)東京府立二中(現・都立立川高校)の寄宿生(「ジャパンアーカイブズ」より)) 本作品の時代背景より少し前の明治三十年代は、中学校の急増期でした。都市のサラリーマンなどの、いわゆる新中産階級を中心に子弟を中学校に進学させようとす…

黒島伝治『電報』その2 誰が中学校に進学したのか? ー明治末期の農村ー

一 源作の息子が市(まち)の中学校の入学試験を受けに行っているという噂が、村中にひろまった。源作は、村の貧しい、等級割一戸前も持っていない自作農だった。地主や、醤油屋の坊っちゃん達なら、東京の大学へ入っても、当然で、何も珍らしいことはない。…

黒島伝治『電報』その1 黒島伝治の学歴をめぐって

【作者】 黒島伝治(くろしまでんじ・旧字体では傳治)(明治31~昭和18年・1898~1943) 小説家。香川県小豆島(しょうどしま)の生まれ。早稲田大学予科選科*中退。1917年(大正6)上京、同郷の壺井繁治と知る。19年入隊、シベリアに出兵。除隊後ふたたび上…