小説にみる明治・大正・昭和(戦前)の教育あれこれ

小説に描かれた明治・大正・昭和戦前の教育をあれこれ気ままに論じていきます。漱石『坊っちゃん』は「『坊っちゃん』に見る明治の中学校あれこれ」(https://sf63fs.hatenablog.com/)へ。

【番外】 有明夏夫『なにわの源蔵事件帳① 大浪花別嬪番付』より「尻無川の黄金騒動」      その2  屎尿汲み取り代金が学校経費に!?

NHKアーカイブズより 源蔵親分と竹内監事との話が続きます。 「そら、まあ、(屎尿汲み取り)代金のこともおろそかにはでけまへんわなあ。学校でも色々と物入りだっしゃろしー」と持ち掛けてみると、「そういうことだ」 意外にも監事は素直に頷いた。「西南…

【番外】 有明夏夫『なにわの源蔵事件帳① 大浪花別嬪番付』より「尻無川の黄金騒動」 その1 木刀をさげた学校監事

40年余り前の20代後半の頃、NHKで今は亡き桂枝雀師匠が主人公に扮した『なにわの源蔵事件帳』というドラマを放映していたのをひょんなことから思い出し、図書館で原作を借りてきて読んでいます。 今回取り上げたのは「尻無川の黄金騒動」。時代は西南の役…

小林信彦『東京少年』その6  勤労動員・初めての田植え

総力戦のさなかなので、田植えにも、中学生の総力を結集する、と教師が宣言した。ぼくたちは割り当てられた高田市周辺の農家に二人ずつ泊まりこんだ。 曽我といっしょだといいと思っていたが、選ばれた相手は色が黒く、たくましい別の少年だった。 数日とは…

小林信彦『東京少年』その5  昭和20年 英語の授業

昭和20年(1945)3月、無試験で合格した東京の「一流と称される」中学校(東京高師付属中)が空襲で焼けたために、主人公は再疎開先の新潟県にある高田中学校(現・県立高田高等学校)に転校することになりました。同校は、高田藩の藩校・脩道館を淵源とする…

小林信彦「東京少年」その4 中学受験の結果は・・・

疎開先での集団生活は、主人公たちに色々と過酷な試練を与え続けました。 飢えからの赤蛙食い 親元との通信に教師の検閲 児童たちの中のスパイ疑惑動物性タンパクの不足から栄養失調 脱走騒ぎ 下痢の蔓延 ジフテリアによる死者 等々 疎開先の食事の一例 (NH…

小林信彦「東京少年」その3  疎開生活の「日常」

穴の中での日常が始まった。 起床は五時半だ。海軍にいた教師にとって早起きは得意らしく、定刻五分前には大広間の奥の襖をあけて、「起床五分前!」 と叫び、やがて、「起床!おこるぞぉ」とつけ加えた。ただちに起きないと、おれは怒るぞ、と念を押すので…

小林信彦「東京少年」その2 集団疎開1日目

集団疎開に応じることが決まると、主人公は明治座で芝居を見たり、中華料理屋で豪華な「闇料理」を食べたりと、裕福な商家のお坊ちゃんらしいひとときの贅沢な日々を送り、出発の日を待っていました。 主人公たちが向かう疎開先は、埼玉県入間郡名栗村(現在…

小林信彦 『東京少年』その1 疎開・・・「縁故」か「集団」か?

【作品】 東京都日本橋区にある老舗の跡取り息子。昭和十九年八月、中学進学を控えた国民学校六年生の彼は、級友たちとともに山奥の寒村の寺に学童疎開することになった。閉鎖生活での級友との軋轢、横暴な教師、飢え、東京への望郷の念、友人の死、そして昭…

コラム13 昔、「農繁休業」というものがあった

半月ほど前、80アール余りの田んぼの田植えを、三日で済ませました。何よりも、高性能で高価な(?)機械のおかげです。 さて、60年近く前、私などが小学生の頃の田植えと言えば、すべて人力によるもので、それこそ一家総出、猫の手も借りたいというぐらいの…

コラム12 「学芸会」その2 明治末から大正・昭和初期

明治 40 年以降になると、学芸会は儀式などの行事と同時に催され、保護者や学校関係者に日常の学習の成果を披露する行事として、確固とした地位を占めるようになってきます。(佐々木正昭「学校の祝祭についての考察:学芸会の成立」) 明治末期から大正初期…

コラム12 「学芸会」その1 そのルーツと展開(明治時代)

運動会に学芸会と言えば、昔から「学校行事の華」とも言うべき二大行事で、「創立○○周年記念誌」等に見られる卒業生の回想文には、遠足、修学旅行などと並んでよく取り上げられる行事です。 今も「学芸会」の名称で実施されているところも残ってはいるようで…

コラム11 ランドセル そのはじまりは?

仲よし小道は どこの道いつも学校へ みよちゃんとランドセル背負(しょ)って 元気よくお歌をうたって 通う道 (作詞:三苫やすし、作曲:河村光陽、『仲よし小道(なかよしこみち)』、昭和14年・1939) www.youtube.com 80年以上も前の童謡にも歌われたラン…

新田次郎『聖職の碑』聖職の碑その5 山岳気象遭難・その後の白樺派流教育

そして彼は、彼の意見に反発しようとする二、三の声を両手で押さえながら云った。「私は校長として、八月二十六日の駒ヶ岳登山は予定通り実行することを諸君に告げる。参加者は高等科二年生の有志とするほか、今年は青年会にも参加を呼びかけたいと思ってい…

新田次郎『聖職の碑』その4 「鍛錬主義教育」とは

職員会議の席上、若手の唱える白樺派流の理想主義教育に対して、校長の赤羽長重は「実践に重きを置いた教育」の必要性を説き、それを今後の方針として表明しました。 赤羽が鍛錬の一語を出したとき、有賀喜一が立ち上がった。「その言葉*は既に信濃教育界か…

新田次郎『聖職の碑』その3 新教育の思想と学校現場の実態

「われわれは教科書中心主義の文部省の教育方針を後生大事に守っているだけではいけないと思います。時世の流れに応じた教育がどんなものであるかは、まだはっきりしませんが、子供たちの個性を尊重する教育に力を入れねばならない時が来たことだけは確かな…

新田次郎「聖職の碑」その2 雑誌「白樺」の影響を受けた教師たち

日露戦争が終わるとと共に、信濃の教育界はそれまでにない大きな変革をしようとしていた。従来の文部省の教育方針に対して反対する教育者が処々に現れたが、信濃の教育者の母体である信濃教育会は、これらの新しい主張に対して黙視する姿勢をとっていた。信…

新田次郎「聖職の碑」その1 学校登山と大量遭難事故

【作品】 大正2年8月26日、中箕輪(なかみのわ)尋常高等小学校生徒ら37名が修学旅行で伊那駒ケ岳に向かった。しかし天候が急変、嵐に巻き込まれ、11名の死者を出した。信濃教育界の白樺派理想主義教育と実践主義教育との軋轢(あつれき)、そして山の稜線上に…

コラム10 級長さんは大変だった!? ー 明治の小学校における級長規則から ー

現在、小・中・高等学校などにおいては、各学級に「学級委員長」(クラス委員、クラス委員長、委員長などとも)が置かれているのが普通です。(私学の中には、戦前と同じく「級長」と称しているところもあるようです。さすがに「組長」はないでしょうが (^0^…

黒島伝治『電報』その3 中学校は「高嶺の花」?!

明治45年(1912)東京府立二中(現・都立立川高校)の寄宿生(「ジャパンアーカイブズ」より)) 本作品の時代背景より少し前の明治三十年代は、中学校の急増期でした。都市のサラリーマンなどの、いわゆる新中産階級を中心に子弟を中学校に進学させようとす…

黒島伝治『電報』その2 誰が中学校に進学したのか? ー明治末期の農村ー

一 源作の息子が市(まち)の中学校の入学試験を受けに行っているという噂が、村中にひろまった。源作は、村の貧しい、等級割一戸前も持っていない自作農だった。地主や、醤油屋の坊っちゃん達なら、東京の大学へ入っても、当然で、何も珍らしいことはない。…

黒島伝治『電報』その1 黒島伝治の学歴をめぐって

【作者】 黒島伝治(くろしまでんじ・旧字体では傳治)(明治31~昭和18年・1898~1943) 小説家。香川県小豆島(しょうどしま)の生まれ。早稲田大学予科選科*中退。1917年(大正6)上京、同郷の壺井繁治と知る。19年入隊、シベリアに出兵。除隊後ふたたび上…

山本有三「波」その4 中等教員への道 その2

「坊っちゃん」に見る明治の中学校あれこれ: 国民的名作を教育史から読み直す 作者:藤原重彦 Amazon しかし中等教員検定試験の日が近づいたので、行介はあまりそんなことを考えている暇はなかった。試験は今度で三度目だった。今度駄目だったら、彼はもう諦…

山本有三「波」その3 中等教員への道 その1

行介はきぬ子との間に出来た男の子(実の子どもではないのではと悩んでいたが・・・)を里子に出すことにしました。 行介もさすがに残り惜しいような気がしないでもないが、しかしこれで駿(すすむ)の片がつけば、彼は本当に身軽になれるばかりでなく、十分勉…

山本有三「波」その2 尋常夜学校 ~知られざる「もう一つの小学校」~

行介の受け持つ組で級長をしている君塚きぬ子は、生活苦から大阪の芸者屋へ「下地っ子」として売られていきました。行介は大阪の警察に知り合いがあったことから、抱え主に掛け合ってもらい、二年間での借金返済を条件にきぬ子は東京に戻りますが、父親は彼…

【番外】久保田万太郎『戯曲 大寺学校』 ー私立の代用小学校ー

山本有三『波』に関連して、明治から大正にかけての、主に東京における貧困層への教育的対応を調べている途中に、ある論文で私立の「代用小学校」という学校の存在を知りました。 明治の前半期には、公立の小学校より低い授業料を設定した私立の小学校が多く…

山本有三『波』その1 特殊小学校とは・・・・

昭和57年(1982)俳優座「波-わが愛」 作:山本有三 演出:島田安行 【作品】 昭和3年東京・大阪両「朝日新聞」に連載された。「妻」「子」「父」の3部からなる。小学校教師見並行介は教え子のきぬ子と結婚したが、妻の不貞に悩まされ、さらに生まれた子供…

コラム9 「気をつけ! 礼!」はどこから?

「学校」という空間には、明治初年以降百数十年の間に、我が国独特の歴史的な慣行や文化が根付いており、近年では「学校文化史」とか「教育文化史」の研究対象にもなっています。 空間内部にいるときには、余りにも当たり前すぎて気にもとめなかった習慣や用…

コラム8 「明治の遠足」 

「遠足」という言葉は、既に江戸時代末期の滑稽本、随筆にその用例があり、町場の寺子屋や私塾の中には、郊外へ花見や紅葉狩りなどの行楽に出かけていたという例があるそうです。ただし、その頃は「とおあし」と読んでいたようです。 ■ 初めは「遠足運動会」…

徳富健次郎『小説 思い出の記』その3 教科書が買えずに退学?

最初は学校も上下各々十級に分れていたのが、後には六級になり、最後には上中下級に分かれ、同じ試験を何度もして、同じような卒業証書を何枚ももらったことを覚えている。単語篇地理初歩から読み初めて、読本も年に二三度は変わるのである貧乏人は到底本が…

徳富健次郎『小説 思出の記』その2 「誤謬(うそ)ばかり教うる先生」と地方の小学校の実態

最初は学校も上下各々十級に分れていたのが、後には六級になり、最後には上中下級に分かれ、同じ試験を何度もして、同じような卒業証書を何枚ももらったことを覚えている。単語篇地理初歩から読み初めて、読本も年に二三度は変わるのである貧乏人は到底本が…