小説にみる明治・大正・昭和(戦前)の教育あれこれ

小説に描かれた明治・大正・昭和戦前の教育をあれこれ気ままに論じていきます。漱石『坊っちゃん』は「『坊っちゃん』に見る明治の中学校あれこれ」(https://sf63fs.hatenablog.com/)へ。

「東京少年」⑥ 勤労動員 初めての田植え

総力戦のさなかなので、田植えにも、中学生の総力を結集する、と教師が宣言した。ぼくたちは割り当てられた高田市周辺の農家に二人ずつ泊まりこんだ。 曽我といっしょだといいと思っていたが、選ばれた相手は色が黒く、たくましい別の少年だった。 数日とは…

「東京少年」⑤ 昭和20年 英語の時間

昭和20年(1945)3月、無試験で合格した東京の「一流と称される」中学校(東京高師付属中)が空襲で焼けたために、主人公は再疎開先の新潟県にある高田中学校(現・県立高田高等学校)に転校することになりました。 転校の手続きが遅れ、既に学校は始まって…

「東京少年」④ 中学受験の結果は・・・

疎開先での集団生活は、主人公たちには色々と過酷な試練を与え続けました。 飢えからの赤蛙食い 親元との通信に教師の検閲 児童たちの中のスパイ疑惑動物性タンパクの不足から栄養失調 脱走騒ぎ 下痢の蔓延 ジフテリアでの死者 疎開先の食事 | NHK for Schoo…

「東京少年」③ 疎開生活の「日常」

穴の中での日常が始まった。 起床は五時半だ。海軍にいた教師にとって早起きは得意らしく、定刻五分前には大広間の奥の襖をあけて、「起床五分前!」 と叫び、やがて、「起床!おこるぞぉ」とつけ加えた。ただちに起きないと、おれは怒るぞ、と念を押すので…

「東京少年」② 集団疎開1日目

集団疎開に応じることが決まると、主人公は明治座で芝居を見たり、中華料理屋で豪華な「闇料理」を食べたりと、裕福な商家のお坊ちゃんらしい日々を送り、出発の日に備えていました。 主人公たちが向かう疎開先は、埼玉県入間郡名栗村(現在は飯能市)の竜源…

小林信彦 『東京少年』① 疎開ー縁故か集団か?

【作品】 東京都日本橋区にある老舗の跡取り息子。昭和十九年八月、中学進学を控えた国民学校六年生の彼は、級友たちとともに山奥の寒村の寺に学童疎開することになった。閉鎖生活での級友との軋轢、横暴な教師、飢え、東京への望郷の念、友人の死、そして昭…

「二十四の瞳」⑦ それぞれの進路

同じ年に生まれ、同じ土地に育ち、同じ学校に入学した同い年の子どもが、こんなにせまい輪の中でさえ、もうその境遇は格段の差があるのだ。(中略) 将来への希望について書かせたとき、早苗は教師と書いていた。子どもらしく先生と書かずに、教師と書いたと…

「二十四の瞳」⑥ 日帰りの修学旅行

六年生の秋の修学旅行は、時節がらいつもの伊勢まいりをとりやめて、近くの金毘羅(こんぴら)ということにきまった。それでも行けない生徒がだいぶいた。働きにくらべて倹約な田舎のことである。宿屋にはとまらず、三食分の弁当をもってゆくということで、…

「二十四の瞳」⑤ 赤い教師への弾圧

それは、はげしい四年間であったが、彼らのなかのだれがそれについて考えていたろうか。あまりに幼い彼らである。しかもこの幼い者の考えおよばぬところに、歴史はつくられていたのだ。四年まえ、岬の村の分教場へ入学したその少しまえの三月十五日、その翌…

「二十四の瞳」④ 唱歌の授業 ー女先生と男先生ー

■ 浜辺で唄った歌は・・・ 二学期初日、前夜の嵐で岬の村はかなりの被害を受けていました。大石先生は子どもたちと道路に転がっている石を取り除く作業をしていたのですが、一人の子どもの面白おかしい話に思わず笑ってしまいます。それを目撃したよろず屋のお…

「二十四の瞳」③複式学級 板木

分教場の先生は二人で、うんと年よりの男先生と、子どものように若い女先生がくるのにきまっていた。それはまるで、そういう規則があるかのように、大昔からそうだった。職員室のとなりの宿直室に男先生は住みつき、女先生は遠い道をかよってくるのも、男先…

「二十四の瞳」② 「女学校の師範科を出た正教員のぱりぱり」は自転車に乗って現れた!

道みちささやきながら歩いてゆく彼らは、いきなりどぎもをぬかれたのである。場所もわるかった。見通しのきかぬ曲がり角の近くで、この道にめずらしい自転車が見えたのだ。自転車はすうっと鳥のように近づいてきたかと思うと、洋服をきた女が、みんなのほう…

坪井栄「二十四の瞳」① 昭和3年 岬の分教場

一 小石先生 十年をひと昔というならば、この物語の発端は今からふた昔半もまえのことになる。世の中のできごとはといえば、選挙の規則があらたまって、普通選挙法というのが生まれ、二月にその第一回の選挙がおこなわれた、二か月後のことになる。昭和三年…

本庄陸男「白い壁」⑤ おわりに

本作品の作中時間は、昭和9年(1934)頃と思われますが、既に作者の本庄陸男は教員の地位を免職になっており、プロレタリア文学の作家として活動していました。 教員組合運動からプロレタリア文学へと向かう過程を中心に、改めて略年譜をもとに彼の34年の人…

本庄陸男「白い壁」④ 健全な精神は健全な肉体に宿る??

昇汞水(しょうこうすい)に手を浸しそれを叮嚀(ていねい)に拭いた学校医は、椅子にふんぞりかえるとその顎で子供を呼んだ。素っ裸の子供は見るからに身体を硬直させて医師の前に立った。彼はまず頭を一瞥して「白癬(はくせん)」と言った。それから胸を…

本庄陸男「白い壁」③ 知能検査と低能児

それほど本当のことを何の怖気もなくぱっぱっと言ってしまう子供たちから、受持教師の杉本は低能児という烙印(らくいん)を抹殺したいとあせるのであった。もしこの小学校の特殊施設として誇っている智能測定が、まことに科学的であるというならば、子供の…

本庄陸男「白い壁」② 低能児学級

「あたいはね、先生――お弁当持ってきたよ、あたいん家(ち)ではね、昨日……だか何日だか、区役所からこんなにお米を買ってきてさ、そいでねえ、ねえ先生――」「そうか――」と杉本は答え、まだまだ何か話したげな子供を促して階段を登るのであった。「またあと…

本庄陸男「白い壁」① 震災復興小学校とは

三一書房、昭和23年(1948)5月刊 【作品】短編小説。「改造」昭和九年五月号。昭和十年六月、ナウカ社刊の同名の単行本に収録。場所は東京深川の細民街の小学校。杉本は四年生の特殊児童四〇名の担任教師。母親にコルク削りを強要されて学校に来ない富次、…

藤森成吉「ある体操教師の死」⑧ おわりに

「なんだか。此の頃ペッカァは一向気がなくなったじゃねえか。そうしていやに隠居臭くなって。へえちっと耄(ふ)けたかな。」 そう云う生徒達の言葉通り、先生は明らかに耄碌(もうろく)し出した。その顔や手には著しく皺(しわ)が寄り、容貌や様子は、ま…

藤森成吉「ある体操教師の死」⑦ 体操からスポーツへ その2

丁度その時分、その中学のある町はずれの小さな湖水で、冬の氷の張ったあいだスケーティングがはやり始めたが、と先生はすぐに練習し出した。乏しいあいだから、厚いジャケツを買ったり、アメリカ製のスケートを取り寄せたり、その道の熟練家をわざわざ東京…

藤森成吉「ある体操教師の死」⑥ 体操からスポーツへ その1

生徒達から云えば、が、単調な体操なぞを本気になってやる気はなかった。勉強は、もう外の学課だけでもいい加減疲れていた。体操の時間位は、せめて気らくにのんきに遊びたかった。そういう気もちで遊ばせてくれるような先生こそ、彼等に取っては良教師だっ…

藤森成吉「ある体操教師の死」⑤ 体操教師の体罰

先生は、まるで生真面目(きまじめ)と厳格と熱心そのもののようだった。赴任の当時は殊に甚だしかった。時間は一時間必ずキッチリ、どうかもすればベルが鳴っても、まだ教練をつづけた。制服を厳重に生徒に守らせた。どうしてもやむを得ない事情もなく和服…

藤森成吉「ある体操教師の死」④  操行点とは

先生は、まるで生真面目(きまじめ)と厳格と熱心そのもののようだった。赴任の当時は殊に甚だしかった。時間は一時間必ずキッチリ、どうかもすればベルが鳴っても、まだ教練をつづけた。制服を厳重に生徒に守らせた。どうしてもやむを得ない事情もなく和服…

藤森成吉「ある体操教師の死」③ 教練の時間に

先生は、まるで生真面目(きまじめ)と厳格と熱心そのもののようだった。赴任の当時は殊に甚だしかった。時間は一時間必ずキッチリ、どうかもすればベルが鳴っても、まだ教練をつづけた。制服を厳重に生徒に守らせた。どうしてもやむを得ない事情もなく和服…

藤森成吉「ある体操教師の死」② 体操教員の養成

木尾先生は、或る山国の地方の中学教師だった。教師と云っても体操科のー一生をそれで終わったのである。 然し生徒達は、誰も先生の本姓を呼ぶ者はなかった。みんなペッカア(啄木鳥)と云う符号で呼んだ。 その奇妙な綽名(あだな)は、あきらかに容貌に拠…

藤森成吉 「ある体操教師の死」① モデル・山本喜市のこと

【作者】藤森成吉(ふじもりせいきち) 小説家、劇作家。明治25年8月28日、長野県諏訪(すわ)郡上諏訪町に生まれる。東京帝国大学独文科卒業。第一高等学校卒業の年(1913)の夏、伊豆の大島に遊び、それを素材とした『波』(のち『若き日の悩み』と改題)を…

山本有三「波」④ 中等教員検定 その2

しかし中等教員検定試験の日が近づいたので、行介はあまりそんなことを考えている暇はなかった。試験は今度で三度目だった。今度駄目だったら、彼はもう諦めようと思っていた。彼は中等教員になりたいのが主眼ではなかった。何かこういうものを目標にして勉…

山本有三「波」③ 中等教員検定

行介はきぬ子との間に出来た男の子(実の子どもではないのではと悩んでいたが・・・)を里子に出すことにしました。 行介もさすがに残り惜しいような気がしないでもないが、しかしこれで駿(すすむ)の片がつけば、彼は本当に身軽になれるばかりでなく、十分勉…

山本有三「波」② 尋常夜学校

行介の受け持つ組で級長をしている君塚きぬ子は、生活苦から大阪の芸者屋へ「下地っ子」として売られていきました。行介は大阪の警察に知り合いがあったことから、抱え主に掛け合ってもらい、二年間での借金返済を条件にきぬ子は東京に戻りますが、父親は彼…

山本有三「波」① 特殊小学校

本ブログで山本有三の作品を取り上げるのは、「路傍の石」に続き2回目となります。 【作品】 長編小説。1928年(昭和3)7月から11月まで『朝日新聞』に連載。「妻」「子」「父」の三部構成で、翌年2月に朝日新聞社刊。小学校教師見並行介(みなみこうすけ)は…