2022-02-01から1ヶ月間の記事一覧
生徒達から云えば、が、単調な体操なぞを本気になってやる気はなかった。勉強は、もう外(ほか)の学課だけでもいい加減疲れていた。体操の時間位は、せめて気らくにのんきに遊びたかった。そういう気もちで遊ばせてくれるような先生こそ、彼等に取っては良教…
『坊っちゃん』に見る明治の中学校あれこれ 作者:藤原重彦 パブフル Amazon ※電子書籍版も好評販売中! 先生は、まるで生真面目(きまじめ)と厳格と熱心そのもののようだった。赴任の当時は殊に甚だしかった。時間は一時間必ずキッチリ、どうかもすればベル…
木尾先生は、或る山国の地方の中学教師だった。教師と云っても体操科のー一生をそれで終わったのである。 然し生徒達は、誰も先生の本姓を呼ぶ者はなかった。みんなペッカア(啄木鳥)と云う符号で呼んだ。 その奇妙な綽名(あだな)は、あきらかに容貌に拠…
【作者】藤森成吉(ふじもりせいきち)小説家、劇作家。明治25年(1892)、長野県上諏訪町(現・諏訪市)の生まれ。明治43年(1910)長野県立諏訪中学校(現・県立諏訪清陵高等学校)を卒業して、第一高等学校独法科に無試験で進学。大正5年(1916)、東京帝…
■ お寺の慈善事業として始まった学校給食 我が国における学校給食の起源とされているのは、明治22年(1889)、山形県鶴岡町(現・鶴岡市)の大督寺の境内に「貧民師弟を教育するの目的」で建てられた私立忠愛小学校で、弁当を持ってこられない子どもに無償で…