小説にみる明治・大正・昭和(戦前)の教育あれこれ

小説に描かれた明治・大正・昭和戦前の教育をあれこれ気ままに論じていきます。漱石『坊っちゃん』は「『坊っちゃん』に見る明治の中学校あれこれ」(https://sf63fs.hatenablog.com/)へ。

2022-02-01から1ヶ月間の記事一覧

藤森成吉「ある体操教師の死」その4  体操からスポーツへ①

生徒達から云えば、が、単調な体操なぞを本気になってやる気はなかった。勉強は、もう外(ほか)の学課だけでもいい加減疲れていた。体操の時間位は、せめて気らくにのんきに遊びたかった。そういう気もちで遊ばせてくれるような先生こそ、彼等に取っては良教…

藤森成吉「ある体操教師の死」その3 教練・体罰

『坊っちゃん』に見る明治の中学校あれこれ 作者:藤原重彦 パブフル Amazon ※電子書籍版も好評販売中! 先生は、まるで生真面目(きまじめ)と厳格と熱心そのもののようだった。赴任の当時は殊に甚だしかった。時間は一時間必ずキッチリ、どうかもすればベル…

藤森成吉「ある体操教師の死」その2 体操教員の養成

木尾先生は、或る山国の地方の中学教師だった。教師と云っても体操科のー一生をそれで終わったのである。 然し生徒達は、誰も先生の本姓を呼ぶ者はなかった。みんなペッカア(啄木鳥)と云う符号で呼んだ。 その奇妙な綽名(あだな)は、あきらかに容貌に拠…

藤森成吉『ある体操教師の死』その1 モデル山本喜市氏のこと

【作者】藤森成吉(ふじもりせいきち)小説家、劇作家。明治25年(1892)、長野県上諏訪町(現・諏訪市)の生まれ。明治43年(1910)長野県立諏訪中学校(現・県立諏訪清陵高等学校)を卒業して、第一高等学校独法科に無試験で進学。大正5年(1916)、東京帝…

コラム1 「学校給食」 ー明治・大正・昭和(戦前)ー

■ お寺の慈善事業として始まった学校給食 我が国における学校給食の起源とされているのは、明治22年(1889)、山形県鶴岡町(現・鶴岡市)の大督寺の境内に「貧民師弟を教育するの目的」で建てられた私立忠愛小学校で、弁当を持ってこられない子どもに無償で…