小説にみる明治・大正・昭和(戦前)の教育あれこれ

小説に描かれた明治・大正・昭和戦前の教育をあれこれ気ままに論じていきます。漱石『坊っちゃん』は「『坊っちゃん』に見る明治の中学校あれこれ」(https://sf63fs.hatenablog.com/)へ。

2021-01-01から1年間の記事一覧

三浦綾子『銃口』その4 師範学校の生活

昭和10年(1935)4月、竜太は北海道旭川師範学校(現・北海道教育大学旭川校)二部に入学します。 師範学校在学中の二年間は全寮制だったから、同じ市内にありながら竜太も家を離れて寮生活をしていた。師範学校の生活は五年間の中学校のそれとは、全くちが…

三浦綾子「銃口」その3 中等学校進学と補習授業

去年の十月頃から、中等学校に行く生徒たちに補習が始まった。それは、六年生のどのクラスも同じだった。男子も女子も、真剣に勉強した。放課後の二時間ほどの時間だった。坂部先生はその補習授業を始める時、クラスの一同にこう言った。「中等学校に行く友…

三浦綾子「銃口」その2 奉安殿に最敬礼

「坊っちゃん」に見る明治の中学校あれこれ: 国民的名作を教育史から読み直す 作者:藤原重彦 Amazon 昭和2年(1927)、主人公の北森竜太は旭川市立大栄尋常高等小学校(作者の母校・大成校がモデル)の四年生になっていました。 四年生になった時、教頭先生…

三浦綾子「銃口」その1 作者・作品と時代背景

名作でたどる明治の教育あれこれ: 文豪の描いた学校・教師・児童生徒 作者:藤原重彦 パブフル Amazon 【作者】三浦綾子 (1922-1999)旭川生れ。17歳で小学校教員となったが、敗戦後に退職。間もなく肺結核と脊椎カリエスを併発して13年間の闘病生活。病床で…

「しろばんば」その7 「運動会への批判」

■ 運動会のあり方への批判 100年以上も前から 運動会の「祭礼化」が進んだ明治の終わり頃から、その内容、あり方をめぐって様々な批判が起こるようになってきました。 その一つで、110年余り前の明治41年(1908)に刊行された『小学校運動会要訣』(国民体育…

「しろばんば」その6 「地域の祭りとしての運動会」 

十一月の中旬の日曜に小学校の運動会が行われることになった。(中略) 九時に朝礼が行われた。石守校長が壇上に立っている時、青年が打ち上げた花火が空で炸裂した。生徒たちはみんな気をつけの姿勢をしていたが、首だけを曲げて空を見上げた。秋晴れの空の…

『しろばんば』その5 「大正期の運動会」

十一月の中旬の日曜に小学校の運動会が行われることになった。運動会の話が出始めると、子供たちは運動会熱に取り憑かれた。学校が終わっても、遅くまで校庭に残り、そこで遊んだ。別に運動会の準備があるわけでも、出場する種目の練習があるわけでもなかっ…

井上靖『しろばんば』その4「受験準備教育の過熱」

新しい校長が来て十日程して、洪作は稲原校長に呼ばれた。校長室へ行くと、今夜から毎晩受験準備のため、渓合の温泉旅館の一つに下宿している犬飼という教師のもとに勉強に行くようにとのことだった。犬飼というのは稲原校長より二、三か月前に、この学校に…

「二十四の瞳」⑦ それぞれの進路

同じ年に生まれ、同じ土地に育ち、同じ学校に入学した同い年の子どもが、こんなにせまい輪の中でさえ、もうその境遇は格段の差があるのだ。(中略) 将来への希望について書かせたとき、早苗は教師と書いていた。子どもらしく先生と書かずに、教師と書いたと…

「二十四の瞳」⑥ 日帰りの修学旅行

六年生の秋の修学旅行は、時節がらいつもの伊勢まいりをとりやめて、近くの金毘羅(こんぴら)ということにきまった。それでも行けない生徒がだいぶいた。働きにくらべて倹約な田舎のことである。宿屋にはとまらず、三食分の弁当をもってゆくということで、…

「二十四の瞳」⑤ 赤い教師への弾圧

それは、はげしい四年間であったが、彼らのなかのだれがそれについて考えていたろうか。あまりに幼い彼らである。しかもこの幼い者の考えおよばぬところに、歴史はつくられていたのだ。四年まえ、岬の村の分教場へ入学したその少しまえの三月十五日、その翌…

「二十四の瞳」④ 唱歌の授業 ー女先生と男先生ー

■ 浜辺で唄った歌は・・・ 二学期初日、前夜の嵐で岬の村はかなりの被害を受けていました。大石先生は子どもたちと道路に転がっている石を取り除く作業をしていたのですが、一人の子どもの面白おかしい話に思わず笑ってしまいます。それを目撃したよろず屋のお…

「二十四の瞳」③複式学級 板木

分教場の先生は二人で、うんと年よりの男先生と、子どものように若い女先生がくるのにきまっていた。それはまるで、そういう規則があるかのように、大昔からそうだった。職員室のとなりの宿直室に男先生は住みつき、女先生は遠い道をかよってくるのも、男先…

「二十四の瞳」② 「女学校の師範科を出た正教員のぱりぱり」は自転車に乗って現れた!

名作でたどる明治の教育あれこれ: 文豪の描いた学校・教師・児童生徒 作者:藤原重彦 Amazon 道みちささやきながら歩いてゆく彼らは、いきなりどぎもをぬかれたのである。場所もわるかった。見通しのきかぬ曲がり角の近くで、この道にめずらしい自転車が見え…

坪井栄「二十四の瞳」① 昭和3年 岬の分教場

一 小石先生 十年をひと昔というならば、この物語の発端は今からふた昔半もまえのことになる。世の中のできごとはといえば、選挙の規則があらたまって、普通選挙法というのが生まれ、二月にその第一回の選挙がおこなわれた、二か月後のことになる。昭和三年…

木山捷平「修身の時間」

谷崎潤一郎「小さな王国」の方は、少しだけお休みをいただいて、40代前半から大ファンになった木山捷平さんの作品を取り上げてみます。 その名もズバリ「修身の時間」(初出、昭和34年9月「別冊文藝春秋」、講談社版全集第4巻所収) 木山捷平 木山 捷平(き…

100年前のスペイン風邪の時は・・・・②

以前から気になっていた「感染症の日本史」(磯田道史、文春文庫、2020年)。図書館の検索では貸し出し中だったので、イオンの書店に行って平台に売れ残っていた1冊を買い求めました。 【目次より】第一章 人類史上最大の脅威 牧畜の開始とコロナウイルス/…

100年前のスペイン風邪のときは・・・・①

www.fukashi-alumni.org このブログで現在取り上げている「戸倉事件」や「倭事件」が起きた大正7年(1918)から大正9年(1920)の3年間は、世界的には第一次大戦、国内では米騒動(7年夏)が起こるなど、なかなか大変な時期でもありました。 1917年 大正6年 …

加能作次郎と国民英学会

1月16・17日に実施された初の「大学入学共通テスト」。 国語の大問を、古文、漢文、小説の順に解いてみました。(評論はちょっと先延ばし)小説の出典は、加能作次郎「羽織と時計」(大正7年・1918)で、初めて見る作家の名前でした。(問題は、予備校の分析…