小説にみる明治・大正・昭和(戦前)の教育あれこれ

小説に描かれた明治・大正・昭和戦前の教育をあれこれ気ままに論じていきます。漱石『坊っちゃん』は「『坊っちゃん』に見る明治の中学校あれこれ」(https://sf63fs.hatenablog.com/)へ。

「しろばんば」その7 「運動会への批判」

■ 運動会のあり方への批判 100年以上も前から
  
 運動会の「祭礼化」が進んだ明治の終わり頃から、その内容、あり方をめぐって様々な批判が起こるようになってきました。 
  その一つで、110年余り前の明治41年(1908)に刊行された『小学校運動会要訣』(国民体育攻究会/編、代表・可児徳、大野書店、1908)では、当時全国的に盛り上がりを見せていた運動会の「非教育的・非体育的な性質」が厳しく批判されています。

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運動会を盛り上げる青年団有志の楽隊
日活映画「しろばんば」より

第十二章 現今行はるる運動会の諸弊
 現今小学校に於て行はるる運動会は左の諸点に矯正を要すべきものと認むるを以て左に列挙して参考に供ふ。
 (一)現今運動会は見せ物的に傾けり。
 (二)児童心身の発達と運動の種類と相伴はぬものあり。
 (三)非教育的余興を往々交ふ。例へば、諸種の滑稽なる風姿をなすこと。野郎なること。蛮的なること。
 (四)不規律なり。
 (五)不謹慎なり。
 (六)運動種類の選択宜しきを得ず。
 (七)冗費を用ふ。例へば来賓の接待に非常に金を投ずるが如し。
 (八)華美に流る。
 (九)楽隊を運用する。
    (十)準備迅速ならず。
   (十一)運動量不適当なり。
   (十二)寄付を強ふるが如き行動を稀に見受くる事あり。

新字体に改めています。

 同書に具体例の記載はありませんが、楽隊の導入、華美なアーチ作成、学校周辺での露店営業、観衆の飲酒、仮装行列等々が批判の対象となったのではないかと思われます。
 本来は児童の体力増進のために行う学校行事の一つであるはずの運動会が、教育活動であることをを忘れて、見物する観客の欲求を満たすための見世物のようなものになってしまっている状況に警鐘を鳴らしたものでした。

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可児徳 かに いさお、1874年〔明治7年〕 - 1966年〔昭和41年〕)

 編集した国民体育攻究会(研究会の意味か)がどういう性質の組織であったかは不明ですが、代表の可児徳は、東京高等師範学校(現・筑波大学)の教師として校長の嘉納治五郎とともにスポーツの普及に尽力し、坪井玄道とともにドッジボールを日本に初めて伝えるなど、わが国体育史上に大きな足跡を残した人物です。

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2019年のNHK大河ドラマ『いだてん』では古舘寛治が可児の役を演じました。

 もう一つ、紹介してみます。米津栄次郎『教員必読 視学の眼』(啓成社、1912年)という書物からです。内容から、筆者は現場の教員を経て、視学(戦前の地方教育行政官)を務めている方のようです。
  

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 余が小学校に入学した頃の運動会は、純粋の気晴らしにてありしなり。列を作りてゾロゾロ町のお宮に参り、又は景色のよささうな所へ行くがきまりなりき。
 其後就学勧誘の方便として、手に手に紙の小旗を携へ、軍歌などをどなりつつ、何をするともなく、通学区域内を一ト廻りせしこともありけり。
 其れが今のやうな半教育的半お祭り的運動会に化けしは、何時頃よりなりしか確かには記憶し居らざれども、何しろ最近長い間のことなり。最早や父兄の機嫌も取つて仕舞ひたることなれば、そろそろ本当の教育的運動会を始めたきものなり。
 元来運動会は、学校全体としての体育上並に訓育上の成績を表彰するが主要任務なれば、平素余りやらぬやうなことを、俄(にわか)思付きにてやる必要更になきなり。又之が為に沢山の費用を投じて、其日限りの贅品を拵(こしら)へ、或は御馳走の振舞など、遠慮すべきことなり。特に其前準備として、普通教科の教授時間を遊戯に費やすが如き、又、何日ともなく、先生が夜を日に継ぎて迄糊張(のりはり)細工をするが如きも、結局は教育の不為となるべし。
 特に当日余りに元気を出し過ぎ、翌日に至りて、足腰も立たず、喉もいたみて、已むなく休業するが如きは、お上に対しても相済まぬ儀なり、乃ち、運動会は、平素行ひつつある体操遊戯の中に就(つい)て、最も普通なる種類を選定し、之を晴れの舞台にて実演するのみにて足れりとせざるべからず。而も此れ本当の運動会なり。
※段落を設け、新字体に改めています。下線は筆者。

 さすがに、現場の実態をよく知った上で、改善策を示すあたりは、説得力があります。
 ただ、問題は「平素行ひつつある体操遊戯の中に就(つい)て、最も普通なる種類を選定し、之を晴れの舞台にて実演するのみ」で、保護者の納得が得られるかという点にあると思います。
 一度、派手な「見世物」となったイベントを、「本当の教育的運動会」に戻すのは、今も昔も、なかなか容易なことではありません。