小説にみる明治・大正・昭和(戦前)の教育あれこれ

小説に描かれた明治・大正・昭和戦前の教育をあれこれ気ままに論じていきます。漱石『坊っちゃん』は「『坊っちゃん』に見る明治の中学校あれこれ」(https://sf63fs.hatenablog.com/)へ。

コラム9 「気をつけ! 礼!」はどこから?

 「学校」という空間には、明治初年以降百数十年の間に、我が国独特の歴史的な慣行や文化が根付いており、近年では「学校文化史」とか「教育文化史」の研究対象にもなっています。
 空間内部にいるときには、余りにも当たり前すぎて気にもとめなかった習慣や用語の中には、その空間を離れて改めて部外者の目で見たとき、疑問や違和感を覚えるものがあるものです。
 その一つに、体育の授業における集団行動や、儀式などでの「気をつけ! 礼!」という号令があります。
 今回は、この「気をつけ」という号令語に注目して、そのルーツについて調べてみました。

「気をつけ」・・・・「気をつけ」は各国の軍隊、準軍事組織、警察の基本教練科目に必ず取り入れられている姿勢、号令である。さらに、マーチングバンド、応援団、ボーイスカウト、日本の学校教育などでは、一般市民の教育やしきたりとしても取り入れられている。そのため、近代以降は「気をつけ」は目上の人物への敬意や集団の規律を表す世界共通のボディーランゲージとなっている。(Wikipedia

 

■ フランスから学んだ号令のかけ方

 幕末、ペリー艦隊の来航によって軍事力の非力さを痛感した幕府は、慶応2年12月(1867)にフランス軍事顧問団を招聘(しょうへい)し、西洋式陸軍の訓練(調練)を開始しました。

大坂城内における幕府陸軍調練の様子(1867年、Wikipediaより)

 その際に使われたテキストの訳書『佛蘭西令言圖解』(田邉良輔訳、慶応3年・1867)では、「生兵号令」(兵の隊列の仕方と号令)の箇所で「attention」というフランス語に「氣ヲ=着ケ」という日本語訳が当てられました。 (ちなみに、「礼」は「salut(敬礼)」から、また「休め」は「arrêter(止まれ)」の訳語でした。)
 「気をつけ」という日本語表現は、古く中世の頃から見られたということですが、  「号令としての『気をつけ』」は、これが本邦初とされています。

『佛蘭西令言圖解』の該当箇所(「新日本古典籍データベース」より)

■ その後の「気をつけ」

 それでは、なぜ軍隊の号令用語が学校教育の場に残ったのでしょうか。
 その理由を知るには、まず明治18年(1885)に初代文部大臣に就任した森有礼(もりありのり、弘化4年~明治22年・1847~1889)の存在に注目する必要があります。

森有礼(「近代日本人の肖像」より)

 森は富国強兵の一策として、師範学校を初めとする諸学校において、「兵式体操」(後に「学校教練」「教練」)を導入し、その奨励を図ったことがよく知られています。

  この「兵式体操」の教官には、当初陸軍の下士官出身者が多く採用され、「兵式体操」中の「基本動作の方法」などは、陸軍の「歩兵操典」帝国陸軍が作成した各兵種の教育および戦闘についての典拠書)に準拠して教授されていました。

伊藤竜之亮 編「兵式体操書・改正図入」(明治23年・1891)より
「不動の姿勢を取らしむる方法」

「歩兵操典」(昌栄社、明治24年)第1章「各個教練」より「不動の姿勢」の説明

 この基本方針は、戦前の学校体育のあり方を方向付けたとされる「学校体操教授要目」大正2年・1913、戦後の「学習指導要領」に相当)の制定以後も、引き継がれていきます。

 こうして、「気をつけ」という号令語は、明治・大正・昭和戦前の80年近くにわたって、「つけ」の漢字表記に「付ケ」、「着ケ」、「著ケ」の違いはあるものの、学校現場で一貫して使われ続けたのです。
 

  終戦後の昭和21年(1946)、文部省はGHQの指導により、「秩序運動に必要な号令・隊列行進・徒手体操などは非軍事的態度で行うこと」という通牒を発して、「気をつけ」などの軍隊的な号令語の使用を禁じます。(ただ、現場で実際に全く使われなかったのかどうかは不明です)

 その後、保健体育科における「集団行動の指導」のあり方をめぐっては、実質的に戦前の「教練」と同じだとする反対派と秩序や規律ある行動の必要性を説く立場の賛成派の間で、長らく議論が続きました。
 しかし、昭和39年(1964)の東京オリンピック招致が決まった頃から、各方面よりその必要性を求める声が強く上がり、同年11月に文部省(当時)は委員会を設置して検討した結果、翌昭和40年(1965)に「集団行動指導の手びき」が出され、「気をつけ」号令が「復活」します。この時、「気をつけ」は平仮名表記になっていました。

岐阜県羽島市中央中学校のブログより
https://www.hashima-gifu.ed.jp/chuou-jh/blog/pdf/1dc30fa6eabad7a2559c269621371dacc86afc08.pdf
日時は不明ですが、マスク姿からここ2~3年の間の記事と思われます。

 

※現役時代、学校にもよりますが、学年当初に新入生の訓練(?)ということで、体育の授業で「気をつけ」から始まって、隊列行進などの練習をしているのよく見かけました。半世紀以上も前の自分たちの生徒の頃のことは思い出せませんが、今も学習指導要領では「集団行動」が必須事項として位置づけられているのでしょう。

それにしても、軍隊的な号令がダメと言われていた時期には、実際どんな指示語が発せられていたのでしょうか?

 

ブログ内容とは関係ありませんが、直木賞作家の重松清氏に「気をつけ 礼」というタイトルの作品がありました(笑)

 

【参考・引用文献】
新谷恭明『学校は軍隊に似ているー学校文化史の「ささやき』(社)福岡県人権研究所、2005年
佐藤秀夫『学校ことはじめ事典』小学館、1987年
渡邊義行「『気をつけ』号令と『気をつけ』姿勢の歴史」『教育医学 第52巻 第2号』岐阜大学教育学部、2006年

田端真弓「保健体育科における集団行動の位置づけとあり方 : 戦後の論説にみる集団行動の必要・不要論の位相と論理」『大分大学教育福祉科学部研究紀要第37巻2号』2015年