小説にみる明治・大正・昭和(戦前)の教育あれこれ

小説に描かれた明治・大正・昭和戦前の教育をあれこれ気ままに論じていきます。漱石『坊っちゃん』は「『坊っちゃん』に見る明治の中学校あれこれ」(https://sf63fs.hatenablog.com/)へ。

『銃口』その8 弾圧②「北海道綴方連盟事件」

「実はあなたは、上司の命令によって検挙された被疑者です」
 と、一通の書類を胸のポケットから取り出した。竜太の目に、
「北森竜太、右の者治安維持法被疑事件被疑者として拘引す」
 の文字が飛び込んだ。わけても、「治安維持法違反」の文字が、竜太に大きく迫った。竜太は足もとから血が引くのを感じた。
 つい一週間前の一月三日、竜太の家に坂部先生や芳子、楠夫兄妹などが集まって、楽しいひと時を持った。その時何かのことで、保志が坂部先生に尋ねた。
「先生、治安維持法って、何ですか?」
 この治安維持法という語は、誰もが聞いていた言葉だった。しかし竜太は、自分と特別関わりのあるものとも思えないので、心にとめて聞いたことはなかった。新聞さえめったに読む暇のない竜太には、
治安維持法で何人検挙」
 などという記事などを時に目にしたとしても、それは別世界のことだった。
(中略)
「・・・・治安維持法で最もきびしく・・・・というか、重点的に力を入れているのは、私有財産と国体の護持だろうね。つまり、天皇制と私有財産を否定する思想には、とても神経質になっている」 
(中略)

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前進座ホームページより

「まだ裁判にかけられていないのに、なぜ退職なのですか」
「この野郎!てめえらは一体何だ。日本中が国運を賭(と)して戦争をしているというのに、日本精神に悖(もと)る生き方を生徒に教えようとしていやがる。そんな非国民に、大事な生徒を預けられるか。ばっさり馘(くび)にしてもいいところを、お情けで退職願を書かしてやるというんだ。ありがたいと思え!ありがたいと!」

 その後、竜太は釈放はされたものの、芳子との挙式を目前にして召集され満州へ。
 やがて敗戦の日を迎えた竜太たちは、朝鮮の抗日パルチザンに取り囲まれますが、奇跡的に母国の土を踏むことができました。

 幾多の苦難の末に懐かしい旭川に帰り着いた竜太は、芳子や友人たちの励ましによって、一度は諦めかけたものの、再び教壇に立って生きる道を選ぶのでした。

■ 北海道綴方教育連盟事件と治安維持法

 「自分たちの生活を見つめ、それをありのままに書くこと」

 綴方(作文)の時間に、そういう指導を熱心に実践してきた北海道綴方教育連盟の同人であった小学校教師52人(諸説あります)が、昭和15年(1940)11月から翌16年1月にかけて突然逮捕されるという事件が起きました。(新聞報道されなかったために、戦後長らく一般には知られていません)

 容疑は「生活主義的な綴方教育によって、子どもたちに共産主義的な階級意識を醸成しようとした」という治安維持法違反によるもので、うち12人が同法の

目的遂行罪」によって起訴されました。

 言うまでもなく、彼らは官憲によって無実の罪を仕立て上げられてしまったのでした。

 検挙された教師の中には長期にわたる勾留により心身の健康を害した結果、教職を退かざるを得なかったり、また中には若くして亡くなった人もありました。

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(本作品は、前進座青年劇場による舞台のほか、テレビドラマ化もされています。)

 

 最後に「希代の悪法」とも言われた治安維持法大正14年・1925、法律第46号公布)の条文を挙げておきます。

第一條 國体ヲ變革シ又ハ私有財產制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ處ス
前項ノ未遂罪ハ之ヲ罰ス
  ※昭和3(1928)年緊急勅令という形で「改正」され、最高刑が死刑となった。
第二條 前條第一項ノ目的ヲ以テ其ノ目的タル事項ノ實行ニ關シ協議ヲ爲シタル者ハ七年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ處ス
第三條 第一條第一項ノ目的ヲ以テ其ノ目的タル事項ノ實行ヲ煽動シタル者ハ七年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ處ス
第四條 第一條第一項ノ目的ヲ以テ騒擾、暴行其ノ他生命、身體又ハ財產ニ害ヲ加フヘキ犯罪ヲ煽動シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ處ス
第五條 第一條第一項及前三條ノ罪ヲ犯サシムルコトヲ目的トシテ金品其ノ他ノ財產上ノ利益ヲ供與シ又ハ其ノ申込若ハ約束ヲ爲シタル者ハ五年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ處ス情ヲ知リテ供與ヲ受ケ又ハ其ノ要求若ハ約束ヲ爲シタル者亦同シ
第六條 前五條ノ罪ヲ犯シタル者自首シタルトキハ其ノ刑ヲ減輕又ハ免除ス
第七條 本法ハ何人ヲ問ハス本法施行區域外ニ於テ罪ヲ犯シタル者ニ亦之ヲ適用ス

 初め、共産主義運動の拡大を防ぐ目的で制定されたこの法律は、やがて適用の対象を自由主義者や極右、新宗教、そして真摯な教育活動を実践していた教員にまで拡大していきました。
 戦後の調査では、同法が廃止されるまでの20年間に、約6万8千人が送検され、獄死などの死者は400人を超えたといわれています。『蟹工船』の小林多喜二が拷問死、哲学者・三木清などが獄死したことはよく知られています。

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本事件までの綴り方教育の展開から、公判の経過まで詳細に論じられています。

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本作品のストーリー展開を追いながら、それぞれの場面におけるモデルの存在を明らかにするとともに、弾圧を受けた方々の実態を、当人や関係者の証言を交えて丁寧に述べられています。

※本作品は、三浦さんの最後の小説だそうです。

若い頃は結核で長らく療養され、晩年もパーキンソン病を患いながら、これだけの力作を残されたという、その執筆への情熱(あるいは執念?)には、驚かされるばかりです。