コラム4 学校掃除 その1
■ コロナ禍で学校の掃除にも変化が・・・・
長引くコロナ禍のなか、学校現場の教育活動に大きな変化が生じているとの報道に接することがよくあります。そんな中に、日々児童生徒たちが行っている掃除(清掃)にも、その影響が及んでいるというネットニュースがありました。
「コロナ禍における学校のトイレ清掃の実態」
https://news.yahoo.co.jp/byline/katoatsushi/20210125-00218112
学校での掃除については、小・中・高校の間は当たり前すぎて、全く疑問に思いませんでしたが、考えてみるとなかなか興味深い考察対象であるように思います。
思いつくままにですが、次のような疑問が浮かんできます。
○教育法制上、掃除はどう規定されているのか?
○いつ頃から、どういう理由で行っているのか?
○他の国ではどうなのか? 等々
■ 学習指導要領では・・・・
平成29年(2017)に告示された現行の「小学校学習指導要領」では「第6章 特別活動・学級活動」において、次のように記されています。
第2 各活動・学校行事の目標及び内容
〔学級活動〕
2内容
(3) 一人一人のキャリア形成と自己実現
イ 社会参画意識の醸成や働くことの意義の理解
清掃などの当番活動や係活動等の自己の役割を自覚して協働することの意義を理解し,社会の一員として役割を果たすために必要となることについて主体的に考えて行動すること
「小学校学習指導要領(平成 29 年告示)特別活動編 解説」(平成 29 年 7 月)
https://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2019/03/13/1387017_014.pdf ※太字は筆者
なお、中学校と高等学校の学習指導要領には、学校での掃除や清掃指導についての文言はありません。
このように、「清掃などの当番活動」というふうに、あくまでも例示であり、「協働することの意義」を理解させるのには、「掃除」以外の何らかの活動でもよいと読み取ることもできます。
中には、「学習指導要領には掃除をやれとは書いてないから、しなくてもよいのだ」と開き直る向きがあるかも知れませんが、学習指導要領の基本的な性格を理解していない、短絡的な意見と言ってよいでしょう。
というわけで、教育法規の観点から掃除の問題を論じることには、あまり意味がないように思われます。
■ 「修行」から「学校衛生」へ
学校掃除のルーツがどこにあるかという問題ですが、古来仏教において掃除は「修行」のための重要な方法の一つとされてきました。
禅宗では「掃いたり磨いたりという動作を通じて、心のほこりも取り払う」という教えがあることがよく知られています。
また、寺院教育だけではなく、江戸時代の寺子屋教育においても、寺子による教場などの掃除がごく普通に行われてきました。
というわけで、我が国では伝統的に、学ぶ者(修行する者)が自分たちの学びの場や生活の場を掃除するのは当然のことと考えられてきた節があります。
この伝統が明治以降、近代学校教育制度下の小学校にも引き継がれていたというのが定説となっているようです。
明治の前半期の小学校における掃除(「洒掃」とも表記されていた)の実態についてはよくわからないところが多いようですが、明治26年(1893)の『宮城県柴田刈田郡小学校校則』中の「第十一章 洒掃」を見ると、掃除の方法に現在とは違いがあるものの、教員と生徒(当時は小学生も「生徒」と呼んだ)が一緒に教場を清掃していた様子がうかがえる記述となっています。(第八十四条 教室内ノ洒掃ハ受持教員生徒ト共ニ之ヲ行フ)
その後、明治の後半に入ると、国が衛生政策の一つとして学校掃除にも関わるようになります。
それは「学校清潔方法」(文部省訓令第一号、明治30年1月10日)においてでした。
この訓令は、前年の明治29 年(1896) 5 月 に文部大臣の諮問機関として設置された「学校衛生顧問会議」の建議によるものでした。その当時同会議の建議によって定められた学校衛生関係の主な法規には次のようなものがあります。
「学生生徒身体検査規程」明治30 年(1897) 3 月、文部省訓令第 3 号
「公立学校に学校医を配置」 明治31 年(1898) 1 月21 日、勅令第 2 号
「学校伝染病予防および消毒方法」 明治31 年(1898) 9 月28 日、文部省令第20 号
「未成年者喫煙禁止法」明治33 年(1900)3 月7 日、法律第3 号 等々
この時期、国が衛生政策に力を入れ始めたのは、日清戦争(明治27~28年・1894~1985)において、日本軍に膨大な病死者(戦死者1,417人に対し、脚気 ・凍傷・コ レラ・マ ラリヤ・感冒等による病死者は8倍強の1万1,894人)が出たことがきっかけでした。日本人の体力のなさと衛生観念の弱さがその原因だと考えられ、文部省による「学校衛生顧問会議」の設置に至ったという経緯がありました。
「官報」第4057号(明治30年1月10日)に掲載された「学校清潔方法」(文部省訓令第1号)は、日常の掃除、定期的な掃除(大掃除)、浸水後の掃除のそれぞれの方法を細かく規定しています。
この訓令は「北海道庁」及び「各府県」に宛てたもので、それを受けた道府県庁では、管下の学校宛てに通達を出しています。そして、学校の中にはそれをもとに掃除に関する規程を作るところがあったようです。
「学校清潔法」の冒頭部分は以下のようになっています。
学校清潔方法
清潔方法ヲ分チテ日常清潔方法定期清潔方法及ビ浸水後清潔方法トス
甲 日常清潔方法
一 教室及ビ寄宿舎ハ毎日人ナキ時ニ於イテ先ツ窓戸ヲ開キ如露ヲ以テ少シク牀板及階段ヲ潤ホシ掃出シタル後濕布ヲ以テ建具校具等ヲ拭フヘシ但掃除ノ為メニ室内ヲ潤ホスハ生徒ノ再ヒ之ニ入ルマテニ充分乾燥シ了ルヲ度トスヘシ
二 教室及ヒ寄宿舎ニハ其ノ人員ニ應シ紙屑籠ト少量ノ水ヲ盛レル唾壺トヲ備ヘ紙片其他廃棄物ハ必ス紙屑籠ニ投入シ痰唾ハ必ス唾壺ニ於テシ決シテ室内廊下等ニ放下セシムヘカラス (以下 二十一まであり)※下線は筆者
訓令にしては、ずいぶんと細かいところまで具体的に指示しているところが印象的です。
中に、下線部のように教室や寄宿舎に「唾壺」(痰壺)を置くようにという文言がありますが、これは、その頃不治の病とされていた肺結核の予防のための措置でした。
その後、明治37年(1904)の内務省令「肺結核予防ニ関スル件」によって、政府は人が多く集まる場所には、結核菌の温床となる痰や唾(つば)をまき散らさないように「痰壺」の設置を義務付けるようになります。
従来の「修行」的側面がなくなったわけではないでしょうが、これ以降、学校における掃除は「学校環境衛生」という観点からも捉えられるようになったと言えるでしょう。
(つづく)
【参考・引用文献】*国立国会図書館デジタルライブラリー
沖原豊『学校掃除 その人間形成的役割』学事出版、1983年
佐藤秀夫『学校ことはじめ事典』小学館、1987年
歴史教育者協議会編『学校史でまなぶ 日本近現代史』地歴社、2007年
鈴木製本所編輯『小學兒童作法訓畫』鈴木安雄、1908年(国立教育政策研究所図書館「近代教科書デジタルアーカイブ」)
*『宮城県柴田刈田郡小学校校則』柴田刈田郡役所、1893年
*「官報」第4057号(明治30年1月10日)
森本稔「明治期の学校衛生」『天理大学学報 (139)』天理大学学術研究会、1983年
青木純一「二十世紀初めにおける小学校教員の結核とその対策ー流行の背景や小学校教員療治料の効果を中心に」『日本教育行政学会年報14巻』2007年
鄭 松安「養生思想と教育的学校保健の成立」(一橋大学 大学院社会学研究科・社会学部・博士論文要旨)2001年
https://www.soc.hit-u.ac.jp/research/archives/doctor/?choice=summary&thesisID=61
ミツカン・水の文化史 機関誌『水の文化』58号「日々、拭く。」 https://www.mizu.gr.jp/kikanshi/no58/03.html
『小学校学習指導要領(平成 29 年告示)解説 特別活動』平成 29 年(2017) 7 月
https://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2019/03/13/1387017_014.pdf