名作に見る明治・大正の教育あれこれ

小説に描かれた明治・大正の教育をあれこれ気ままに論じていきます。漱石『坊っちゃん』は「『坊っちゃん』に見る明治の中学校あれこれ」(https://sf63fs.hatenablog.com/)へ。

田山花袋『田舎教師』③ 天長節

 

 天長節には学校で式があった。学務委員やら村長やら土地の有志者やら生徒の父兄やらがぞろぞろ来た。勅語の箱を卓テーブルの上に飾って、菊の花の白いのと黄いろいのとを瓶にさしてそのそばに置いた。女生徒の中にはメリンスの新しい晴れ衣を着て、海老茶色の袴をはいたのもちらほら見えた。紋付を着た男の生徒もあった。オルガンの音につれて、「君が代」と「今日のよき日」をうたう声が講堂の破れた硝子をもれて聞こえた。それがすむと、先生たちが出口に立って紙に包んだ菓子を生徒に一人一人わけてやる。生徒はにこにこして、お時儀をしてそれを受け取った。ていねいに懐にしまうものもあれば、紙をあげて見るものもある。中には門のところでもうむしゃむしゃ食っている行儀のわるい子もあった。あとで教員連は村長や学務委員といっしょに広い講堂にテーブルを集めて、役場から持って来た白の晒布をその上に敷いて、人数だけの椅子をそのまわりに寄せた。餅菓子と煎餅とが菊の花瓶の間に並べられる。小使は大きな薬罐に茶を入れて持って来て、めいめいに配った茶碗についで回った。(二十三)

 

 

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祝祭日の学校の風景 ー教育勅語奉読ー
(『風俗画報』64号明治24年https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/1310305200/1310305200100210/ht002020

  

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(海老茶色の袴、女学校生徒の定番スタイルでした

 

■ 祝祭日儀式の意味

 天長節というのは天皇誕生日のことです。明治天皇の誕生日は11月3日でした。
 元日の「四方拝」、2月11日の「紀元節」と合わせて「三大節」と言いました。(昭和に入ると4月29日が天長節で、11月3日の「明治節」を加えて四大節と称すようになります。)

  こうした「祝祭日の学校儀式」の内容・次第は文部省令に定められていました。
 本作品の当時は、明治33年(1900)の「小学校令施行規則」に次のような規程がありました。  

 

第二十八条 

紀元節天長節及一月一日ニ於テハ職員及児童、学校ニ参集シテ左ノ式ヲ行フヘシ
一 職員及児童「君カ代」ヲ合唱ス
二 職員及児童ハ天皇陛下皇后陛下ノ御影ニ対シ奉リ最敬礼ヲ行フ
三 学校長ハ教育ニ関スル勅語ヲ奉読ス
四 学校長ハ教育ニ関スル勅語ニ基キ聖旨ノ在ル所ヲ誨告ス
五 職員及児童ハ其ノ祝日ニ相当スル唱歌ヲ合唱ス      (後略)

 

 「『君が代』と『今日のよき日』をうたう声が・・・・」とあります。

 この『今日のよき日』というのは、明治26年(1893)に文部省が公布した『祝日大祭日唱歌のうちの 天長節のことです。

天長節

作詞:黒川真頼 (くろかわ まより)
作曲:奥好義 (おく よしいさ)
音楽:東京音楽学校(現在の東京芸術大学音楽学部)生徒

今日のよき日は 大君の
うまれたまひし よき日なり

今日のよき日は みひかりの
さし出でたまひし よき日なり

ひかりあまねき 君が代
いわへもろ人 もろともに

めぐみあまねき 君が代
いはへもろ人 もろともに
    

 

天長節の歌 12月23日 / 祝日大祭日唱歌八曲

 

 祝祭日の学校儀式はなかなか定着しなかったようで、その実態について佐藤秀夫『学校ことはじめ辞典』は次のように述べています。

 教育勅語発布の翌年1891(明治24)年、それまで単なる休日だった祝祭日当日に教職員・児童を登校させ、御真影への拝礼、教育勅語の奉読、祝祭日の意義についての校長訓話、式歌斉唱などの式目からなる、荘重な学校儀式を挙行することとし、翌92年4月から実施させた。ところが、親たちの理解を得られぬままの当初の実施の結果はまことに惨憺たるもので、当日の子どもの出席は「平日ノ五分ノ一ニモ充タサル」ありさまだった。そこで学校側は、式終了後に紅白のお菓子屋餅を配って子どもの歓心をそそるようにした・・・・(後略)

 

■ 伴奏はオルガンで

 知りませんでしたが、単に「オルガン」というと、それは「パイプオルガン」を指すのだということです。
 その昔、小学校の教室にあったあの「足踏みオルガン」は、リードオルガン」( Reed Organ)が正式な名称です。   
 

 わが国では、明治の初めにまず来日したのはキリスト教の宣教師。外国製のリードオルガンを多数持ち込んで、宣教活動に使用しました。

     明治20年代から師範学校に、以後徐々に公立学校にも導入されていきましたが、早い時期にオルガンを導入できたところはほとんどが一般からの寄附に頼っていたと言われています。

 

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 一方、ピアノは格段に高価な楽器で(価格はオルガンの約20倍とも)、とても地方の 小学校ではお目にかかれない代物でした。   
     

 最後に「天長節」と「オルガン」の出てくる小説の一節を挙げておきます。

    『光り合ういのち』は作者・倉田百三の自伝的小説です。

    倉田百三は明治24年(1891)生まれですから、明治30年代半ば頃の小学校時代を回想しての文章と思われます。      

 
  私はその頃の天長節のことを忘れることが出来ない。それは十一月三日、明治天皇天長節で、恰度菊の盛りの頃にあった。私は礼装して式場に並ぶのが大好きだった。荘重なオルガンのクラシカルな音。女の子の美しい、高い声での唱歌。厳かな勅語捧読、最敬礼、菊の紋章のついたお菓子を貰って、その日はお休みだ。菊の薫りのように徳の薫りが漂うていた。記念の清書が張り出される。私はいつも一等賞だ。徳と美との雰囲気の中に学びの道にいそしむのは何という幸福であったろう!

倉田百三「光り合ういのち」(昭和15年:1940)