小説にみる明治・大正・昭和(戦前)の教育あれこれ

小説に描かれた明治・大正・昭和戦前の教育をあれこれ気ままに論じていきます。漱石『坊っちゃん』は「『坊っちゃん』に見る明治の中学校あれこれ」(https://sf63fs.hatenablog.com/)へ。

教育史

伊藤整『若い詩人の肖像』④ 「学閥」・「吉田惟孝」

新井豊太郎は私に言った。「ここは広島閥でねえ。いい所はメイケイ会(東京高等師範学校の会)が先に地の利を占めてしまっているものだから、広島は君、九州とか四国とか北海道、朝鮮なんかに根を張っているんだよ」 それは私にとって重要な職業教育であった…

伊藤整『若い詩人の肖像』③ 「英語教師」

私が数え年二十一歳で、三年制の小樽高等商業学校を卒業したのは、大正十四年、一九二五年の三月であった。(中略) この新設中学校*は多額納税議員をしているこの市の金持ちが、土地と建築費を寄付して創設され、校舎はこの雪解を待って建て始める予定にな…

伊藤整『若い詩人の肖像』② 「軍事教練」その2

私の入る前の年、全国の高等学校や専門学校に軍事教練が行われることになった。その年は、第一次世界戦争が終わってから四年目に当たり、世界の大国の間には軍事制限の条約が結ばれていた。世界はもう戦争をする必要がなくなった。やがて軍備は完全に撤廃さ…

伊藤整『若い詩人の肖像』①「軍事教練」その1

私の入る前の年、全国の高等学校や専門学校に軍事教練が行われることになった。その年は、第一次世界戦争が終わってから四年目に当たり、世界の大国の間には軍事制限の条約が結ばれていた。世界はもう戦争をする必要がなくなった。やがて軍備は完全に撤廃さ…

島崎藤村『夜明け前』① 「上等・下等小学校」

一方にはまた、学事掛りとしても、村の万福寺の横手に仮校舎の普請の落成するまで、さしあたり寺内を仮教場にあて、従来寺小屋を開いていた松雲和尚(しょううんおしょう)を相手にして、できるだけ村の子供の世話もしなければならないからであった。子弟の…

山本有三『路傍の石』④ 「私立大学の専門部」

日給が取れるようになると、彼は前の学校の近くにある、私立大学の商科の夜学専門部にはいった。(中略) ところが、前の学校の近くまで行くと。門の前は学生で黒くなっていた。ビール箱の上に乗って、演説している学生もあった。吾一は思わず足をとどめた。…

山本有三『路傍の石』③ 「苦学生」

「大きくなったもんだなあ。-ところで、学校はどうした。」「学校へなんか、とても行けません。」「夜学にも行っていないのか。」「ええ。行きたいとは思ってるんですけれど、まだ小遣いだけで、とても給料をもらえるようになれないもんですから。」(中略…

山本有三『路傍の石』② 「中学へ進むには・・・・」

ねえ、おっかさん・・・・」と、口を切った。「なに。ー」「ねえ、・・・・やっておくれよ。-いいだろう。」中学のことは今に始まったことではない。こう言えば、おっかさんには、すぐにわかると思っていた。しかし、おっかさんは、「どこへ行くんです。」と、そっ…

山本有三『路傍の石』① 「高等小学校」

我々年代の者には懐かしく思い出される作品ですが、若い人たちにはなじみがないかもしれませんので、簡単なあらすじを引用しておきます。 愛川吾一は貧しい家庭に育ち、小学校を出ると呉服屋へ奉公に出される。父・庄吾は武士だった昔の習慣からか働くことを…

夏目漱石『三四郎』④ 「帝大の運動会」

きょうは昼から大学の陸上運動会を見に行く気である。 三四郎は元来あまり運動好きではない。国にいるとき兎狩(うさぎがり)を二、三度したことがある。それから高等学校の端艇競漕(ボートきょうそう)の時に旗振りの役を勤めたことがある。その時青と赤と…

夏目漱石『三四郎』③ 「選科生」

昼飯を食いに下宿へ帰ろうと思ったら、きのうポンチ絵をかいた男が来て、おいおいと言いながら、本郷の通りの淀見軒(よどみけん)という所に引っ張って行って、ライスカレーを食わした。淀見軒という所は店で果物(くだもの)を売っている。新しい普請であ…

夏目漱石『三四郎』② 「おじいさんの西洋人教師」

それから約十日ばかりたってから、ようやく講義が始まった。三四郎がはじめて教室へはいって、ほかの学生といっしょに先生の来るのを待っていた時の心持ちはじつに殊勝(しゅしょう)なものであった。神主(かんぬし)が装束(しょうぞく)を着けて、これから…

夏目漱石『三四郎』① 「9月入学」

学年は九月十一日に始まった。三四郎は正直に午前十時半ごろ学校へ行ってみたが、玄関前の掲示場に講義の時間割りがあるばかりで学生は一人ひとりもいない。自分の聞くべき分だけを手帳に書きとめて、それから事務室へ寄ったら、さすがに事務員だけは出てい…

久米正雄『父の死』② 「御真影に殉死」

その明くる日父は突然自殺して了つた。 こんな事も危惧されてゐたのだが、まさかと打消してゐた事が事実となつて家人の目前に現はれて了つた。家人は様子が変だと云ふので、出来るだけの注意もし、家の中の刀剣なぞは知らないやうに片づけて置いた。併し父…

久米正雄『父の死』① 「御真影」

『父の死』 作者数え8歳の時、校長をしていた父の学校が失火。校舎とともにご真影(天皇の写真)も焼失した。その責任を感じ父は割腹自殺をする。その事件を素材とした作品。 その明くる朝、私が起きた時父はまだ帰つてゐなかつた。私は心痛で蒼ざめてゐる…

井上靖『あすなろ物語』② 「学芸会と鉄拳制裁」その2

(鮎太は学芸会で一時間にわたって、英語の暗誦をおこなった。) 学芸会が終わって講堂を出ると、無数の讃嘆と好奇の眼が自分に注がれているのを、鮎太は感じた。 教室へ戻って、鞄を肩にして、それからそこを出て、家へ帰るために運動場をつっ切ろうとした…

井上靖『あすなろ物語』① 「学芸会と鉄拳制裁」その1

『あすなろ物語』 天城山麓の小さな村で、血のつながりのない祖母と二人、土蔵で暮らした少年・鮎太。北国の高校で青春時代を過ごした彼が、長い大学生活を経て新聞記者となり、やがて終戦を迎えるまでの道程を、六人の女性との交流を軸に描く。明日は檜にな…

『しろばんば』その3「中学受験に向けて」

新しい校長が来て十日程して、洪作は稲原校長に呼ばれた。校長室へ行くと、今夜から毎晩受験準備のため、渓合の温泉旅館の一つに下宿している犬飼という教師のもとに勉強に行くようにとのことだった。犬飼というのは稲原校長より二、三か月前に、この学校に…

『しろばんば』その2 湯ヶ島の教師たち

九月になって二学期が始まると、洪作は榎本(えのもと)という新しく湯ヶ島の小学校に赴任してきた師範出の教員のところへ、毎夜のように勉強にやらされた。榎本は部落に三軒ある温泉旅館の中で一番大きい渓合楼(たにあいろう)の一室に寝泊まりしていたの…

井上靖『しろばんば』その1 「通知簿と袴」

一学期の終わる最後の日は、いつもこの日に通知簿(成績表)を貰うので洪作はよそ行きの着物を着せられ、袴(はかま)を穿(は)かされ、先生から貰った通知簿を包む大型のハンケチを持たされた。 洪作にとっては学期末の通知簿を貰う日は辛い日であった。袴…

渡辺淳一『花埋み』① 東京女子師範

この『花埋み』(はなうずみ)は、日本最初の女医である荻野吟子の生涯を題材とした作品です。 明治八年十一月、東京女子師範は東京本郷お茶の水に開校した。この学校はのち東京女子高等師範と改められ、現在のお茶の水女子大学に至っている。 第一期生はぎ…

田山花袋『田舎教師』⑤ 日露戦争下の小学校

日露開戦、八日の旅順と九日の仁川とは急雷のように人々の耳を驚かした。紀元節の日には校門には日章旗が立てられ、講堂からはオルガンが聞こえた。(中略)交通の衝に当たった町々では、いち早く国旗を立ててこの兵士たちを見送った。停車場の柵内には町長…

田山花袋『田舎教師』④ 講習会と夏休み

■ 教員講習会 次の土曜日には、羽生の小学校に朝から講習会があった。校長と大島と関と清三と四人して出かけることになる。大きな講堂には、近在の小学校の校長やら訓導やらが大勢集まって、浦和の師範から来た肥った赤いネクタイの教授が、児童心理学の初歩…

田山花袋『田舎教師』③ 天長節

天長節には学校で式があった。学務委員やら村長やら土地の有志者やら生徒の父兄やらがぞろぞろ来た。勅語の箱を卓テーブルの上に飾って、菊の花の白いのと黄いろいのとを瓶にさしてそのそばに置いた。女生徒の中にはメリンスの新しい晴れ衣を着て、海老茶色…

田山花袋『田舎教師』② 郡視学

郁治の父親は郡視学であった。(中略) 家が貧しく、とうてい東京に遊学などのできぬことが清三にもだんだん意識されてきたので、遊んでいてもしかたがないから、当分小学校にでも出たほうがいいという話になった。今度月給十一円でいよいよ羽生(はにゅう)…

田山花袋『田舎教師』① モデル小林秀三のこと

名作でたどる明治の教育あれこれ: 文豪の描いた学校・教師・児童生徒 作者:藤原重彦 Amazon 作品の名前はよく知られていても、読まれた方はそう多くないでしょうから、作品と作者の解説文、それに冒頭部分を挙げておきたいと思います。 日露戦争に従軍して帰…

正宗白鳥 『入江のほとり』③ 英語の独学

広い机の上には、小学校の教師用の教科書が二三冊あって、その他には「英語世界」や英文の世界歴史や、英文典など、英語研究の書籍が乱雑に置かれている。洋紙のノートブックも手許に備えられている。彼れは夕方学校から帰ると、夜の更けるまで、めったに机…

正宗白鳥『入江のほとり』② 代用教員その2

「辰は英語を勉強してどうするつもりなのだ。目的があるのかい」冬枯の山々を見わたしていた栄一はふと弟を顧みて訊いた。 ブラックバードの後を目送しながら、「飛ぶ」に相当する動詞を案じていた辰男は、どんよりした目を瞬きさせた。すぐには返事ができな…

正宗白鳥『入江のほとり』① 代用教員

『入江のほとり』(『太陽』大正4年4月)の舞台は作者正宗白鳥(明治12年~昭和37年:1879~ 1962年)の故郷・岡山県和気郡穂浪村(現在の備前市穂浪)です。 白鳥は十人兄弟の長男でしたが、作品には主要な登場人物として、弟三名、妹一名、そして白鳥自…

大庭みな子『津田梅子』③ ー女子英学塾の評判ー

ブリンマー時代の梅子の人望と、その後の世界各地での風評がその根底にあると想像するが、次々と信じられない額の寄付がアメリカの友人たちから寄せられ、半年後にはフィラデルフィア委員会からの送金で、元園町一丁目四十一番地の醍醐忠順侯爵の旧邸を買い…