名作に見る明治・大正の教育あれこれ

小説に描かれた明治・大正の教育をあれこれ気ままに論じていきます。

坪内逍遙 『当世書生気質②』―硬派書生の愛読書―

  九尺二間の障子は、腰板あさましう破れ砕けて、坐相撲(すわりずもう)の古跡(あと)いちじるしく、縁無(へりなし)八畳の琉球表は、処々摺れ破れて、柔術(やわら)のお温習(さらい)の盛んなるを示す。夜被(よぎ)はたたまずして、押入の内に投入れ、衣服は洗はすして、久しく籐行李(とうごり)の内にをさむ。足駄は他の穿去るを恐れて、蘭灯(ランプ)の傍にかくし、ビールの酒壜(フラスコ)は酒気已に絶えて、今方は冷水のいれものとなりぬ。てんぷらの香尚窓前の竹の皮に残り、景物の酒盃(ちょこ)、かけて文机(ふづくえ)の邊(ほとり)にあり。『三五郎物語』(しずのおだまき)は、誰が丹精の謄写になりし乎(か)、洋書(ブック)と共に本箱のうちに交る。屡々取出して読むと思しく、其の摺れたること洋書に優れり。顧て壁の一方を望めば、たてかけたる竹刀両三本、握り太のステッキと相連なる。中には血の痕の斑なるもあり。想ふに罪もなき近所の犬をば、叩き殺したる記念にやあらん。こは抑(そもそも)何処(いずこ)の景況(ありさま)ぞといふに、是なん某学校の塾舎にして、其部舎主(へやぬし)の性質の如きは、以下の物語にて察したまへ。
 年の頃二十三四、近眼と見えて鉄欄(てつわく)の眼鏡をかけた書生。尻のあたりの赤くなった白地の単衣を被て、白木綿の屁子(へこ)をまきつけ、腕まくりしたる容態、見た所からして強さうなり。胎毒の記念(かたみ)と見えて、頭の痕の方はまるではげたり。背後から見れば薬罐(やかん)を肩の上にのっけたやうなり。(後略)
(第九回 一得あれば一失あり 一我意あれば一理もある書生の演説)

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 (「早稲田と文学」https://merlot.wul.waseda.ac.jp/sobun/t/tu015/tu015f01.htm)

 

 

■ 硬派書生の愛読書!?
 

    この作品は明治15年頃の東京のある私塾に在籍する書生の風俗・生態を描いたものです。モデルとなるのは、作者逍遙が在学した頃の東京大学の学生であるということはよく知られています。
 様々なタイプの書生が登場しますが、大きく分けると「硬派」「軟派」ということになります。
 引用した部分は、「頑固党」とも呼ばれた「硬派」の代表格桐山 勉六(きりやま べんろく)の部屋(寮の一室)となっています。
 部屋が乱雑で不潔なのは、古今東西(?)よくあることです。

    もちろん、犬殺しの野蛮さは、本当にそんな学生がいたのかと疑いたくもなります。
 しかし、ここで何よりも注目すべきは、「『三五郎物語』(しずのおだまき)は、誰が丹精の謄写になりし乎、洋書(ブック)と共に本箱のうちに交る。屡々取出して読むと思しく、其の摺れたること洋書に優れり」という箇所です。
  『三五郎物語』(平田三五郎物語とも)、別名(こちらのほうが有名)『賤(しず)のおだまき』は、薩摩島津氏の家臣で容色無双と評判の美少年平田三五郎宗次(満15歳)と、同僚である吉田大蔵清家(満28歳)の同性愛を描いた物語です。俗に男色ともいわれます。
 明治の自由民権運動の機関誌に連載され、硬派な男子のあるべき姿であると評判になって一大ブームとなりました。

 

 この話題は、森鷗外の自伝的小説ヰタ・セクスアリスの中にも登場します。

 

  性欲的に観察して見ると、その頃の生徒仲間には軟派と硬派とがあった。軟派は例の可笑(おかし)な画を看る連中である。その頃の貸本屋は本を竪に高く積み上げて、笈ずるのようにして背負って歩いた。その荷の土台になっている処が箱であって抽斗(ひきだし)が附いている。この抽斗が例の可笑しな画を入れて置く処に極まっていた。中には貸本屋に借る外に、蔵書としてそういう絵の本を持っている人もあった。硬派は可笑しな画なんぞは見ない。平田三五郎という少年の事を書いた写本があって、それを引張り合って読むのである。鹿児島の塾なんぞでは、これが毎年元旦に第一に読む本になっているということである。(中略)
  軟派は数に於いては優勢であった。何故というに、硬派は九州人を中心としている。その頃の予備門には鹿児島の人は少いので、九州人というのは佐賀と熊本との人であった。これに山口の人の一部が加わる。その外は中国一円から東北まで、悉(ことごと)く軟派である。
  その癖硬派たるが書生の本色で、軟派たるは多少影護(うしろめた)い処があるように見えていた。紺足袋小倉袴は硬派の服装であるのに、軟派もその真似をしている。只軟派は同じ服装をしていても、袖をまくることが少い。肩を怒らすることが少い。ステッキを持ってもステッキが細い。休日に外出する時なんぞは、そっと絹物を着て白足袋を穿(は)いたり何かする。

  ( 『ヰタ・セクスアリス新潮文庫

 

 

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 硬軟両派の違いが、たいへん分かり易く述べられています。
 逍遙(安政6年:1859生まれ)、鷗外(文久2年:1862生まれ)は3歳の違いですから、明治10年代の前半の学生時代には似たような経験をしたことでしょう。
    硬派書生の代表格である桐山は「最も人をして文弱ならしむるもんは、彼の女色といふ奴ぢゃワイ。女色を避けんとするにはまづ第一婦人に嫌はるるやうにせんでは叶はん」(第九回)と述べて、服装だけでなく、生き方そのものに、いわゆる「バンカラスタイル」を貫いています。
 こうした硬派の気風は、後の旧制高等学校の学生に受け継がれていったといわれています。

 

#  近年、この本の現代語訳が出版されているようです。

BL(ボーイズ・ラブ)の先駆けともいえる“硬派”の愛読書の新訳」という見出しで紹介されています。
  「毎日新聞」サンデーライブラリー https://mainichi.jp/articles/20170913/org/00m/040/011000c
◆『現代語訳 賤(しず)のおだまき 薩摩の若衆平田三五郎の物語』鈴木彰/訳(平凡社ライブラリー/税別1200円)

 

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