小説にみる明治・大正・昭和(戦前)の教育あれこれ

小説に描かれた明治・大正・昭和戦前の教育をあれこれ気ままに論じていきます。漱石『坊っちゃん』は「『坊っちゃん』に見る明治の中学校あれこれ」(https://sf63fs.hatenablog.com/)へ。

2022-01-01から1年間の記事一覧

本庄陸男『白い壁』その3 「修身」の授業で・・・

月曜朝の第一時間目には、どの教室にも一様に修身科がおかれていた。びっしり詰った十三坪何勺(しゃく)かの四角な教室からは、たからかな教育勅語の斉唱が廊下に溢れ出た。躾(しつけ)のいい組と云われている子供たちの声が、いたって単調なリズムを刻み…

本庄陸男『白い壁』その2 「低能児学級」(特別学級)

「あたいはね、先生――お弁当持ってきたよ、あたいん家(ち)ではね、昨日……だか何日だか、区役所からこんなにお米を買ってきてさ、そいでねえ、ねえ先生――」「そうか――」と杉本は答え、まだまだ何か話したげな子供を促して階段を登るのであった。「またあと…

コラム3 「昇降口」とは・・・

■ 「昇降口」 ーその始まりはー 今でも、ほとんどの小・中・高校では、来客や教職員用の玄関とは別に、児童生徒用には昇降口という出入り口が設けられており、登下校の際にはそこで靴を履き替えることになっています。 歴史をたどってみると、近代公教育の制…

本庄陸男「白い壁」その1 震災復興小学校とは

【作品】 短編小説。「改造」昭和九年五月号。昭和十年六月、ナウカ社刊の同名の単行本に収録。場所は東京深川の細民街の小学校。杉本は四年生の特殊児童四〇名の担任教師。母親にコルク削りを強要されて学校に来ない富次、母なし子の武夫、二度原級留置きの…

コラム2 「身体検査」(学校健康診断)の歴史

■ なくなった「座高」測定 平成26年(2014)4月に学校保健安全法施行規則の一部が改正され、学校健康診断の検査項目から「座高」(昭和12年・1937より実施)と「寄生虫卵の有無」(昭和33年・1958より実施)が削除されました。 文部科学省では座高測定につい…

藤森成吉「ある体操教師の死」その6 体操教師像の変遷・大正文学の中の中学教師像 

「なんだか。此の頃ペッカァは一向気がなくなったじゃねえか。そうしていやに隠居臭くなって。へえちっと耄(ぼ)けたかな。」 そう云う生徒達の言葉通り、先生は明らかに耄碌(もうろく)し出した。その顔や手には著しく皺(しわ)が寄り、容貌や様子は、ま…

藤森成吉「ある体操教師の死」その5 「体操」から「スポーツ」へ②

名作でたどる明治の教育あれこれ: 文豪の描いた学校・教師・児童生徒 作者:藤原重彦 パブフル Amazon それにつづいて、夏その冷たい湖水で中学生達の水泳が始まるようになった。と、それまで水では金槌(かなづち)だった彼が、自分の半分も年下の少年達の中…

藤森成吉「ある体操教師の死」その4  体操からスポーツへ①

生徒達から云えば、が、単調な体操なぞを本気になってやる気はなかった。勉強は、もう外(ほか)の学課だけでもいい加減疲れていた。体操の時間位は、せめて気らくにのんきに遊びたかった。そういう気もちで遊ばせてくれるような先生こそ、彼等に取っては良教…

藤森成吉「ある体操教師の死」その3 教練・体罰

『坊っちゃん』に見る明治の中学校あれこれ 作者:藤原重彦 パブフル Amazon ※電子書籍版も好評販売中! 先生は、まるで生真面目(きまじめ)と厳格と熱心そのもののようだった。赴任の当時は殊に甚だしかった。時間は一時間必ずキッチリ、どうかもすればベル…

藤森成吉「ある体操教師の死」その2 体操教員の養成

木尾先生は、或る山国の地方の中学教師だった。教師と云っても体操科のー一生をそれで終わったのである。 然し生徒達は、誰も先生の本姓を呼ぶ者はなかった。みんなペッカア(啄木鳥)と云う符号で呼んだ。 その奇妙な綽名(あだな)は、あきらかに容貌に拠…

藤森成吉『ある体操教師の死』その1 モデル山本喜市氏のこと

【作者】藤森成吉(ふじもりせいきち)小説家、劇作家。明治25年(1892)、長野県上諏訪町(現・諏訪市)の生まれ。明治43年(1910)長野県立諏訪中学校(現・県立諏訪清陵高等学校)を卒業して、第一高等学校独法科に無試験で進学。大正5年(1916)、東京帝…

コラム1 「学校給食」 ー明治・大正・昭和(戦前)ー

■ お寺の慈善事業として始まった学校給食 我が国における学校給食の起源とされているのは、明治22年(1889)、山形県鶴岡町(現・鶴岡市)の大督寺の境内に「貧民師弟を教育するの目的」で建てられた私立忠愛小学校で、弁当を持ってこられない子どもに無償で…

『銃口』その8 弾圧②「北海道綴方連盟事件」

「実はあなたは、上司の命令によって検挙された被疑者です」 と、一通の書類を胸のポケットから取り出した。竜太の目に、「北森竜太、右の者治安維持法被疑事件被疑者として拘引す」 の文字が飛び込んだ。わけても、「治安維持法違反」の文字が、竜太に大き…

三浦綾子『銃口』その7 綴方教師への弾圧①

綴り方の時間を作業に振り向けさせられるという不本意なことがあって後、竜太の心の中に変化が生じていました。 それまで格別の関心を持たなかった綴り方の指導に、意欲が湧いたのだ。できたら綴り方連盟とやらに加盟して、勉強してみたいという思いさえ湧い…

三浦綾子『銃口』 その6 潰される綴方の時間

昼休みのひと時、職員室の自分の席にくつろいでいた。と、職員室に入って来た教頭が、「北森先生、ちょっと・・・・・」 と手まねきをした。満面に笑みを浮かべていた。どちらかといえば、ふだん笑顔の少ない教頭なのだ。竜太は教頭の傍(そば)に近寄って行った…

三浦綾子『銃口』その5 昭和12年、小学校では・・・

■ 昭和12年と言えば・・・・ 昭和12年(1937)9月、竜太は空知郡幌志内(炭鉱の町・歌志内がモデル)の小学校に赴任することになり、校長の沢本を訪ねました。 歌志内の町 歌志内市ホームページ「歌志内学」より ※時代不明 まだ軍隊を出たばかりの坊主頭だが、三…